弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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覚書

今日は免許の更新にいってきました。電車の乗り違いで、午前の受付には間に合わなかったので、午後まで時間を潰して、二時間講習を受けて、ようやくです。とてもつかれた。
暇つぶしがてらに寄った本屋で超欲しい本があったので買ったら昼飯がなくなりましたが、まあいいです。

毎年毎年、なんというか代わり映えのしない精神状態というか、この時期は10月は沈み11月はどこか枯れ葉が心の中で舞っていて、12月は忙しくて最悪の場合死に至るみたいな感じですね。
しかしまあ、往々にして10月に創作意欲は死に絶え、11月に活気を取り戻す流れは変わらんようです。
9月は本当に死滅の月で、8月末に爆発した諸々の出来事の尾ひれを取り除くのに随分かかりました。でも、それからまるでそれでできたクレーターの埋め立て作業をするかのように、鬼のように本を読んでました。何を読んだのかさっぱり覚えてないですが。ニーチェとか読んだ気がします。あとは伊藤計劃。ゲームはMGSを貪るように……。
昨日、演習の発表があって卒論のテーマを決めました。伊藤計劃・円城塔『屍者の帝国』。一読して、変態だなあ、と。なんと曲がりなりにも、成功が一切ないとはいえ長編の小説を五本くらい書いた自分からして、この作品からは尋常ではないオーラを感じました。これには絶対にかなわない……というか、比することすらおこがましい。死とは人をここまで突き動かすのかと……これを初めて読んだ時は夏で、それは図書館で借りたんですけど、さっき買いました。
卒論のテーマは『戦争』にしました。別にMGSをやったから、そこから始まったとかいう話ではなく、もっとずっと前から戦争について考えている時間はありました。ニンギアルへようこそとかは、まさしくそれを表現しようとして、生き恥を晒しました。メルマガ方式で、友人幾人かに読んでもらいましたが、あの時の自分をぶっ飛ばしたい。しにたい。とても未熟だった、とひしに感じます。でも今年の八月までそれほど未熟とは自覚していなかったのだから、頭がオカシイ。それこそライトノベルの魔術である、「これくらいなら俺にだって書ける」という誘導のせいですね。いや、まあ、それでスイスイとかけちゃう人もいるんだろうけど、俺はそうではない。「こんなん俺になんか書けねえ」という凄まじい壁にぶち当たった時、初めて自分の未熟さを知るわけです。本当に涙がでるわけですよ。俺はこれが本当に怖かった。自分の才能が無いのを知ってしまうのは本当に怖い。だって自分というものは厳選とかできないし、もし才能という面について「陰」判定が出てしまったら、リセットマラソンをすることもできない。だから怖い。中島敦の山月記ですね。あれを越えられなかった。まだ越えてないけど。

あ、話が逸れた。
ん、でまあ、その壁が『屍者の帝国』だったわけです。計劃の読者にとってはあまり歓迎されない話だったようですが、それは当たり前で、計劃のプロットを解釈した円城塔の物語なわけで、計劃を期待するのが頭から間違っているわけです。それで低評価をつけるのはあまりにも読書というものを分かってないと思いますが……まあ、いいや。
昨日の発表は『麦と兵隊』を取り上げました。戦意高揚小説にして、戦犯小説ですね。戦争を賛美してます。
いや、そうではないんですけどね。作者の火野葦平は頑張ったものだと思います。上から目線になっちゃうけどね。彼が賞賛したのは戦争ではなく兵士だったわけです。ひとりの兵士として。それは単純に、クラスの友達に対する親しみと大して変わらない。クラスには乱暴ないじめっことかもいるわけで、それには辟易するが、でも兵士のせいじゃないんだよ。戦争がわりいんだよ。しかしまあ、この兵士があるのも戦争ゆえ、結果的に戦争を認める形になっているのは間違いないわけです。虐殺をしようと略奪をしようと強姦をしようと、それが戦争がそうさせることで時が過ぎればみんな優しいふつうの人に戻るなんて幻想を抱いていたのが、甚だ間違いだったわけ。
ま、それは先行研究の話題であり、単なる異常性の指摘に留まることしか出来なかった。まあ、自分は批判分野はさっぱりで、批判するにしても9割受け売りなので、当然なんだけども……。
でも、今回の発表、すごい純粋に『批判』が欲しかった発表でも有ります。この論はもっと大成しなくてはいけない。でも自分の限界がそこにあった。だから、誰かに突っ込んで欲しかった、視点がほしかった。そんなの初めてでした。今までは、「ボコボコにされたらどうしよう……」「先生に怒られなければいいや」程度だったのに、なんとまあ、ようやくなにかを作ることのスタートラインに書けたような心持ちがします。

あ、そういえば8月末に原稿を無理やり仕上げて、富士見ファンタジア大賞に応募しましたが、まあオチました。当たり前ですね。たぶん人生最大の失敗作だと思います。紅蓮蒼白立ち返りて晦冥を改変したんですけど、おそらく改変しないほうが良かったんじゃないかと思ってます。それでもまあ、凡作なのは変わらないですが。一生公開するつもりはないです。失敗作を作ったショックは、凄く心に来るんですね。キャラクターに申し訳ない。読んでくれた人に申し訳ない(実質、下読みの人くらいだろうが)。どうして自分はこんなに下手くそなんだろう、と。
【重音テト×波音リツ】第十章-早暁- 【オリジナル】
そのとき作ったこの曲に、その時の心情が全部入ってると思います。
ふつうはここで挫折するのかも知れないが、どうしてか自分はできなかった。まだ「途中」じゃないか、と思えたのは、ある意味では僥倖に過ぎないのかも知れない。
それから狂ったように本を読みましたね。あ、話が戻った。まあいいや。まず小説作りの実践書を読みました。それから、たくさん本を読んだ……『狼と香辛料』の最終巻のあとがきで、「書くことがなくなるというのは本当に悪夢でした。それが怖くて本をたくさん読みました」と言っていて、それが実感を伴ってきたのはつい最近です。
自分は幽霊としての少女沙実、サナリの物語を終わらせてはならない……、それを放棄した時に自分の夢は潰えると確信しました。「まだ」書かなくてはならない。まだ続いている。それを終わらせても良いと判断できる時まで、書き続けなくてはいけない。
そういうわけで、同じ世界観の話をまた考え始めたわけです。相変わらず幽霊が出てきて「俺」と出会う。ルールに振り回されながらも、自分をきちんと見つけようと努力する少年少女の物語。いつもは曖昧にぼかすところもきちんと補って、次こそは「完全な作品を書かなければいけない」という命題を背負いました。読むことをやめてはいけない、考えることをやめてはいけない。
作家をいろいろと横断しました。赤川次郎に戻ったりもしてみました。ここ一週間は火野葦平についての文献にずっとあたっていたわけですが。
プロットは行き詰まった。キャラクタは自分の中に既に存在しているけど、それと筋書きはまた違う話で、一度止まるとなかなか走り出さない。一ヶ月くらい放置しました。11月はたぶん、一度も手をつけなかったと思います。それよりも、音楽のほうに執着していたような気がします。こういう時、音楽には助けられてます。
で、最近、ようやくなんとなく、目処が立ちました。
ふっ、と、暗い船艇に蝋燭の明かりが灯るようにその目処が現れると、そこに至る道筋もぼんやりと見えてくるようになる。
自分は天才かと思いました。まあ、違いますけど。
そういうわけでプロットはまだできてないです。というか、書きかけの短編があるので、そっちを仕上げなくては……。
ゲームも二本ひとから借りているので、今シーズン中にはクリアして返さなければ……、今日本を買ったせいで積ん読が6冊に! 三年ぶりくらいですね、積ん読。すき。

そういうわけで、経過発表みたいなもんです。
2月くらいまでにどうにかできるかが勝負だと思います。遅れると就活が始まります。鼻くそほじくってた中坊のときから書き始めているこのブログで、就活の話題を身の上の話として出すことになるとは思わなかったですね。当時の自分は、今頃の自分は若手ラノベ作家として作品をアニメ化していると思ってますからね。んな妄想してねえで本を読めよ、って言ってやりたい。ラノベ50冊くらいでいい気になってるんじゃねえ、って言ってやりたい。
長くなったので此のへんで。
先日、また一曲作ったので、近々アップします。よろしくね。
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  1. 2014/11/28(金) 19:39:58|
  2. 尋常の日記・雑記
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ノン・ノン・フィクション

筒井康隆とか読んでたら短編が描きたくなったので、かきました。
本当はこんなことしてる暇なかったんですけど、演習の発表がアレなんですけど、まあ、まだ大丈夫です。後輩から借りた伊坂幸太郎をずっと読んでます。
http://ncode.syosetu.com/n4394cj/
ここからでも読めますが、こちらにも全文はります。

ーーーーーーーーーーー
 私は物語を提供してきた。物語と一口に言っても、各々色々と思うところがあるはずだ。あらゆる距離感が消失したハードなサイエンスフィクションであったり、自尊心に指図されるがままに人を殺して自慢するような殺人者を描くミステリだったり、「君を愛してる」をいかに回りくどい方法で打ち明けるのかはらはらするようなラブストーリーであったりするだろう。
 私の物語はそういった『売れるための物語』と目的は一緒なのだが、本質はもっと根源に根ざしている。そう、それは紀元前に紡がれていた神話の類に近い。彼らは決して、商売のために物語を考えていたわけではなく、自分達が何者であるのかを確かめるために、集団としての正統性を説得するために物語を編んだ。その物語は、『事実』なのである。誰もが事実であると信じこみ、よってめいめいがその役割に敢えて準じ、数千年もの歴史を経験してきた。
 こう言うと、私の仕事を知るものは皆顔をしかめる。どの口でそんな綺麗事を──、と。
 私の仕事とは、プロットを提供することである。提供先はテレビ局や新聞といったマスメディアが大半だ。たまに、寂寥に耐え切れなくなった金持ちの年寄りを相手にしたりする。
 人間は皆、美談を好む。特にマスメディアに取り上げられる美談というのは、一層に箔が付くというもので、「情報なんて手に取るようにいくらでも手にはいる人達が紹介してくれる話なのだから、きっと厳選された逸話なのに違いがない」と人は無意識に思うようである。私は、その美談を提供する。
 もちろん、それらはフィクションだ。私の与えた話には何一つ本当のものはない。私のプロットを受け取ったテレビ局は、早速役者探しに出かける。舞台を探しに出かける。まあ、早い話が「ヤラセ」なのである。決してドラマやテレビ小説ではない。私は『事実』として物語を演出するのを得意としていたのだ。
 テレビはひっきりなしに美談を紹介する。何県在住のなになにさんは、苦労して起業して経営を軌道に乗せたが、その際お世話になった人は今は亡くなってしまった。いま、その人への想いを語ってもらう。アウトラインはありきたりだが、中身を工夫すれば──例えば時事問題に絡めるとかすれば──新鮮なものに見えたりする。窮地に陥った時、助けてくれた。自信が無くなった時に慰めてもらった。災害の時に命と引き換えに自分を守ってくれた。これだけのプロットを、感動的なオーケストラに乗せて流せば、皆、涙する。涙している人達に、「実は自分の体験を懐かしそうに語る彼らは金で雇われたエキストラで、話も全部嘘っぱちですよ」と囁くのは無粋というものだろう。感傷の前に、真偽などどうでも良い。マスメディアが『事実』として語る時、それらは視聴者の『事実』として吸収されていくのだ。
 私はこの手の話を三百は手がけてきた。二十ウン時間に渡って放映されるチャリティー番組へは、身体的にペナルティを負った人々についてのプロットも提供した。この時ばかりは流石にデタラメを並び立てるわけにもいかず、わざわざ病院に出向いて取材をして、「ちょっとしたスターになりたい人」を探した。私は彼と画策してひとつのプロットを作り上げ、納品した。大好きなプロ野球選手にホームランをお願いする難病の少年のエピソードをベースに、そこに「実在」という調味料をかけてやれば感動的な話はいくらでも作れる。私は大した達成感もなしに、いい額の報酬を受け取ることが出来た。
 そういうわけで、自称善良な人々に私はよくひどく批判を受けるのだが、私は単に需要に応えて仕事をしただけであり、プロットの用途には関知していない、というスタンスを貫いているし、それに私の物語を目撃した人間の多くは感動を覚えている。誹りを受ける義理もないし悪い事をしているのだ、という感慨もない。
 しかしながらとうとう先週、私は週刊誌の記者なる男に突っかかられた。
「あなたは人を騙して金を稼いでいますね、そのことについてどうお考えですか」
「騙して、だなんてとんでもない。私のもとには『騙された!』という問い合わせはありません」
「でもあなたの作ったウソに、大勢の人がウソの涙を流している。これを騙していると言わずして、何というのですか」
「私の物語に共感して出た涙はウソなんかじゃありませんよ」
「例えそうだとしても、あなたは人の感情を弄んで金を得ている。まるきり悪人だ」
「どうして私が悪人なんですかね……、例の下半身不随の子だって、私に感謝していたし、そのドキュメントを見た人は感動した! とメッセージを送ってきてくれた。テレビ局もネタ切れに困る心配はない。誰も損していないのに、どうして私が悪人呼ばわりされなければいけないのか分からないな」
 記者なる男はすっかり怒ってしまった。
「あれをドキュメントだと! いいでしょう、このことを記事にしますから、覚悟しておいてください」

[ノン・ノン・フィクション]の続きを読む
  1. 2014/11/09(日) 20:28:33|
  2. 尋常の日記・雑記
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スマホ「俺達は政府や誰かの道具じゃない」



新曲です。このプレイヤーで再生するとクッソうるさいので、サウンドクラウドの方に移動した方がいいと思います。
説明に「性交渉によって感染する致死性の病」と書いてありますが、これは「屍者の帝国」からの引用です。一見性病の記述に見えますが、このセリフは「生命とは何か?」という問いの答えです。「死は生の一部としてある」と言うよりも、こっちのほうがよっぽどかっこいい。曲とたいして関係ないです。インストは説明文に困るのです。
こういう詞が無い曲はそれ以上に、タイトルに困ります。この曲を作っている時に、ず~っとMGS1の動画を見ていたのでこういうタイトルにしました。ぽこぽこなってるシンセがそこはかとなく、遺伝子の螺旋を描いているように聞こえないかな~って思っただけです。でもCellですからね。細胞。なんというか、今自分が何を読んでいるか、とか、鑑賞しているか、ってあんまり人に知られたくないじゃないですか。ああ、影響受けたんだな、って思われるのはなんとなく癪なので、Geneではなく、Cell。ちょっと大きくなった。
……at 209という数字は、まああとでぽろっと種明かしすると思います。

先週一週間は本当に大変だった。倦怠感がヤバくて、マジでうつ病なんじゃないかと思ったけど、10時間くらい平気で寝てたんで、違うだろ~あはは、と過ごしていました。でも、流石に12時間睡眠が余裕になってくるとビビりました。
あと、風邪をひきました。風邪に抗生物質は効かないから、病院いくのは無駄、とかいう言説があるそうですけど、抗生物質は風邪自体よりも、風邪で弱った身体にやってくる肺炎とか結核菌を退治する目的のほうが大きいようなので、やっぱり行ったほうがいいらしいです。僕はいかなかった。
呆れるほど睡眠をとったら、よくなりました。マジで無理はしないほうがいいですね。
これから社会に出るに当たると、体調悪くてもでかけなくては……!っていう心理状態になると思いますが、それは嫌なので、どうにかそれを回避できないか、考えているところです。こないだ受験をしたと思ったら、もう今度は就活だなんて奇妙な話ですわ……。当ブログは二回にも渡る受験をカバーしてるから、きっと俺が不祥事を起こしたら卒業文集もろとも晒されるんだろうなあ。高校には無かったから、きっと中学生のやつだろうな。そこには縦書だけど、横書きを仕込んでおいた。
「なんだ、夢か」
ああ、そうだよ夢だよ!とキレたくなりますね。
  1. 2014/11/07(金) 23:30:48|
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プロフィール

可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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