弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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フリーダム

先日書き上げた小説、余裕で規定枚数を超えたのでその改訂作業をしていたらこんな時間……というわけではなく、単純にオールの飲み会明けが明けただけです。超早起きです。
15万字程度のものを、13万字ちょっとまで減らしました。毎度のことですけど、俺の文章は修飾がくどい上に、今回は文章がそっくりそのまま物語の修飾みたいなところがあったので、そこを減らして、それでもまだ枚数収まらないので、本当にギリギリまで削った……もうコレ以上は減らない……勘弁して……。
こんなに余裕持って直せてるのは初めてだなあ。去年の夏はこの作業を〆切直前でやってたので、本当に死にそうでした。そんでもって、そのまま玉砕。今回はエラく時間が余ってるので一応ギリギリまで詰めようとは思ってるけど、大枠はこんなもんだろう。
そんなわけで、もうアウトプットし尽くして、もう頭が呆然としているので最近はインプットをひたすらしてます。
一応、本はなんでも読むと自負してますけど、本屋に足を運んで買うとなるとやっぱ好きなジャンルに傾倒しますね。主にSFとラノベなんですが。ミステリも好きですけど、どうしても買う気にはなれず、誰かから貸してもらったりしちゃう。
貸してもらうのならジャンルは何でもOK、純文学、ラノベから哲学書まで幅広くカバー、という雑食ぶり。学術書はちょっとハードルが高い……そういう批判的な読み方がどうしてもできなくて、院進を諦めたクチなので、なんとなく忌避感。自分からは絶対に読まないだろうな……。

就活中です。
自己分析って言葉自体にすごい嫌悪感抱くんですけど、それでも割と今日まで自分について深く考えたことがあるっていう人の方が珍しいらしいですね。俺は根が臆病なので、そういうことしないと生きてこれなかったんですけど、慣れてないと「自分ってなに?」という陥穽にハマっちゃうんだなあ、と思ったりしてます。
最近思うようになりましたが、別に「自分ってなに?」じゃないんですよね。その問を発した時点で、自分って、存在しない……し、別に存在する必要がない。無くたって構わない。うーん、なんともSF的な思考。でも俺はこの短い人生で曲がりなりにも自分について内省してきたから、何か考える向きというものがある。
人は自由です。自由だからなんでもしていい、とかいう幼稚な思考はともかくとして、自由だが、人は縛られた方が活き活きとする。とある講義で寄せられたコメントに「出先で靴が壊れたんですけど、ものすごい頭が働いてなんとか被害を少なくできました。人って追い詰められると頭めっちゃ働きますよね」っていうのがあって、それに対する先生のコメントは「頭が働いてるんじゃなくって、そうするしか選択肢がないんです」。そうするしか選択肢がないから、そうする。でも何故か、そこでやりがいを感じてしまう。すると、自由とは? 何かの状況に命令されることでやりがい、生きがいを感じるのであれば、君というのは一体何なんだ?
「自己分析」がしているのは、あくまで表層的なことに過ぎないと思ってて、それはつまり無意識レベルでの自分の解析なんだと思ってる。表層的なのに無意識ってどういうこっちゃ、って感じだけど、単純に言って自分の傾向ですよね。自分はこういう命令に抵抗を覚える、つまらないと感じる。逆に、こういう命令に喜びを感じる、義務感を覚える。リク○ビとかの性格診断とかって、こういうのを求めようとしている。俺に言わせればそんなの自己分析でも何でもない。だって、それで見えてくるのは自分じゃないし、それって別にいまさらやることじゃなくね? っていうか、そういうのを知らずによく生きてこれたね? っていう感想を抱いてしまう。
人は自由である、っていうのはまあ、ニーチェ的な宇宙規模の思索での大大大前提なわけですから、俺が言いたいところの自分というのは、言葉を借りるとすれば「自由な自分」です。
これを語る上でまず打ち出さなくてはいけないのは、とってもシンプルな対立項、自由vs命令。命令に無意識の傾向というのが代入されるとしたら、その逆が意識ですよね。意識vs無意識。
で、フロイト先生が言ってる無意識の簡単な図式、高校の倫理の教科書に載ってるようなこと、巨大な無意識の上に、ちょこんと意識が海面に顔を出している氷山、を思い出して頂きたいのですが、無意識を大前提に意識はある、ということ。意識を変えるには、無意識を変えるしか無い。そういう意味では、一般的な『自己分析』はとっても根底的なところにあるといっていい。逆に言えば、そこからしか始まることが出来ない。「私は変わりたい!」という意識を持つ限り、逆説的ですけど、絶対に変わりません。
誤解してほしくないのは、この意識というのが自分なのではないということ。言いたいのは、命令に服従する無意識へ、更新を要請するのが自分だということです。実在存在と抽象存在の向こう側。そこに自分はいる。
めっちゃ難しく聞こえるかも知れませんが、呑み込めてしまえばそんな難しいことではないと思います。命令に対する命令です。毒をもって毒を制す。その毒についての分析が、自己分析。そして、これは一朝一夕でなるものではない。というか、絶対に分からない。アキレスと亀的な。そんでもって、カント的な理念である。辿りつけないのは分かっていても、歩き続けなければいけない。その動的な歩き方そのものが、「生きる」ということになる。
だから、とても見ててイライラするのは、自分の依拠できる観念を見つけて、それを結論にしてしまってる手合い。それが俗にいう「意識高い系」界隈の人間。それで全てを悟ったような顔をして何かを語っている。周りを巻き込もうとしている。あのね、って思う。あんた今、靴が壊れて喜んでいるようなもんだよ、って言いたい。無限に命令の牢獄で遊んでればいい、と思う。
最近、伊藤計劃の虐殺器官を再読しました。本当に名作だから教科書に載せて欲しい。
その中で、頻繁に言われていること。人はある自由と引き換えに何かを得ている。それで回っている世界に「自分」は必要ない。だから、『ハーモニー』で描かれる終焉へと導かれる。神林長平はハーモニーでの意識観について批判していたけど、やっぱり意識と知覚という対立項で躓いていた。でもその主張は同意できる。大いに賛同する。何より必要なのは、その終焉を乗り越えること。でも、それは『ハーモニー』を読む誰しもが思うことであって、神林長平はその先陣を切ったにすぎない(それか、一番声高に言ったか)。
伊藤計劃の三長編の映像化予告ムービーのラストで、『僕達は、彼が計劃した世界を生きる』と冷徹に告げている。俺はそのとおりだと思います。彼の作品そのままの世界が実現するわけではない……が、だがそのプロジェクトは平気なツラをして進行している。『自己分析』が自分に到達しないことがその一例。
だからこそ、その先にいかなければいけない。「命令に応えられる僕」ではない、その先へ。「自由な自分」によって紡がれる、自由の物語。あくせくして生きる、その向こう側に。
「文学を読むことは自分という存在のチューニング」である、と友だちが言っていた。受け売りなのかも知れないが、ある程度同意できる。でも、チューニングだと、いつだってどこかの基準に戻らなければならないではないか。それは時代の発する命令であっても問題無いことになる。それだと問題がある。
だから、俺なりに言うと、「テクストを読むことは自分という存在を破壊することである」になる。今のところ。……さっきから「自分」という言葉の使い方があっちいったりこっちいったりしてメチャクチャですね。行き当たりばったりで書いてるので……ごめんなさい。ええと、ここでいう自分というのは、「意識vs無意識」という構図そのものです。こんなの注釈いれないとわかるわけ無いな。今度から気をつけます……。
で、更に言うと、理想的なのはテクストを読むことで、自分という存在を破壊する……それに付け加え、どこを破壊するのかを選択することが出来る、というもの。これは今思いつきで書いたのでよくわかりません。なんというか、虫歯治療みたいですね。理想に過ぎるかな。
まぁ、ここまでたどってきて、ようやく自分というものの片鱗がぼんやりとわかる……みたいな感じです。
「CRUSH」「MIX」「BURN!!」
その絶え間ない流動のうちに、自分を見つけることが出来る。
自分を見つけないとどうなるか? 
3.11で世に溢れた数々の言説の担い手になってしまう。カルトやオカルトに手を貸してしまうことになる。人を殺してしまうことが可能になる。
大袈裟に思われるかもしれないが、大袈裟なら大袈裟で結構です。が、ここまで理解してようやく「他人の意思を尊重し自分の意思を信じる」ことができるようになる。表層的な自己分析に甘んじながら、この偉大な名言を口にしないように。消費しないように。

伊藤計劃氏の亡くなった月、そして数多の生命の失われた3.11の月の末ということで、ちょっと熱くなってしまったことをご勘弁下さい。
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  1. 2015/03/30(月) 08:04:45|
  2. 尋常の日記・雑記
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悪人笑気説

大昔に書いて、どっかに投稿する予定だった短編の存在をすっかり忘れていたので、掲載します。



 石留は自他共に認める、悪人だ。
 自他共に、とは言っても「他」の方に含まれるのは姉の秀子だけだった。その他には両親は勿論友人もいない。この身寄りの少なさが更に「悪人」という属性をリアルにしてみせるのだが、もちろんそれを誇って議員バッヂの様に扱っているわけではなく、ある意味職人に似たような響きで以って、慎ましくその言葉を使うのだった。
 石留の朝は大して早くない。昼過ぎに起きてきて、ぼけっとして過ごす。睡眠時間が異常に長いのは、それほど活動しなくても生きていけるからで、平均十二時間は眠っている。長く睡眠を取り過ぎても身体に悪い、という研究もあるらしいが、それが本当かどうか確かめてやろう、くらいの気負いで毎日いびきも忘れて眠っている。
 ようやく起きて居間に向かうと、姉の秀子も欠伸をしながらトースターの前に佇んでいた。彼女は石留と違って真っ当な社会人である。フリーランスのイラストレイターとして朝も夜もない生活を送っているので、たまにこうして起床の時間がかぶったりした。
「おはよう」
「おはよう。これ食べたら、すぐ出るから」
 姉弟二人暮らしをずっと続けてきたのだから、これくらいの会話だって大分充実しているほうだ。果たして挨拶をきちんとする姉弟が全国にどれほどいるものか。『行けたら行く!』と言って本当に来る人間ほどの希少さがあるんじゃないか。石留はそんな風に思いながら、焼きたてのトースターを受け取るとそのまま咥えた。
 秀子はさっさとトースターをたいらげると、出かけて行ってしまった。石留はちぎったパンの欠片をのんびりとひとつひとつ飲み込む。身内贔屓というわけではなく、おそらく一般的に見て秀子は美人だと思う。それも、服装や髪型に左右されることのない、石留の思うところの本質的な美しさを持っている。絵も上手い。アニメ等のポップなイラストを専門としているが、そこにもどこか美しさが内在している。なんというか、美に愛された人だな、と石留は決して口にはしないが、そう姉のことを評価していた。
 美人と悪人。……なんとなく、その取り合わせにも美学を感じてしまう。
 石留は十七時過ぎになって、少しだけ高価なスーツを着こみ、中身の入っていない黒地の鞄を持ち、特注の革靴を履き、最新のiPhoneをポケットに入れて、家を出た。仕事だ。
[悪人笑気説]の続きを読む
  1. 2015/03/25(水) 23:36:26|
  2. フィクション小説(妄想)
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なにかを作るということ、そしてそれを誰かに見せるということ。

「発売された直後、続編として期待を背負った「メタルギア ソリッド2」は激しい賛否の嵐に巻きこまれました。今でこそ評価をされているタイトルですが、当時は雷電という新キャラクターや、ラストにこめた強すぎるメッセージ、ゲームとしては難解なストーリーがファンには届きにくく、ウェブサイトの書き込みや評判を見るたびに気持ちがふさぎました。そんな僕を最初に理解してくれたのは、伊藤さんだったのです。彼は自分のサイトで「こんなゲームを喜ぶのは俺だけだ!」という主旨の文章を載せてくれていました。僕がゲームにこめた謎かけやメッセージをかくもよく理解してくれている人がいる。その事実だけで、僕は救われた気がしました」(小島秀夫「伊藤計劃さんとのこと」伊藤計劃『メタルギアソリッド ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』角川文庫、2010)

僕自身、承認欲求なんて邪魔でしょうがなくって、これが無ければもっと奔放に、自分のしたいことを自分がしたいがままにやれるのに、と思ったことが多々あります。
でも、なにかを創りだすというのは、承認欲求それ以前の問題なんであって、僕にとっては自明の問題なんですね。そして、自分という領域から無限の可能性を掬すること、それを誰かに伝えたいと思うこと。承認欲求は、その後についてくるものなんだと、最近は思ってます。というか、今思いました。まる。
  1. 2015/03/20(金) 23:40:40|
  2. 尋常の日記・雑記
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↑↓↑

眠れないィィので文章を書くことにしました。
ちょうど先週、小説に関する意識の高いことを書いて、それからず~~~っと書いてたんですけど、一応最後まで書き終えました。
最近Windowsアップデートを適用したら、案の定パソコンが不安定になって、急に落ちると困るからCtrl+Sを押すのが癖になっちゃって、ブログ書いてんのにここまで書くのに三回くらい上書き保存しそうになりました。というか、行き詰まったらコントロールS。考え事はコントロールSを連打しながら。でもお陰様で、やっててよかったコントロールSって感じな場面があって、本当にラッキーって感じでした。なんか騙されてる感じすごいけど。そもそもクラッシュすんな、って話。
ちょうど一週間前に七万字と言ってるから、そこから八万字増えました。一週間で八万字。二週間で十六万字。十六万字っていうと、大体文庫本換算で300~350Pくらいになります。一文字ずつで改行して行ったら、多分もっと増えますが、紙の無駄遣いにも程が有りますね。(ここで流れるようにCtrl+Sを押す)
一週間で八万字って言いますが、これってどれくらいの量かって言ったら、卒論ふたつぶんですね。うちの学部は40000字なので、ダブルスコアです。一週間で大学二回卒業できます。
でも、この一週間本当に一回も外出ないで、ほとんど全てパソコンに向かってて、たまにラーメンズ見て、たまに神林長平を読んで、ほかはほとんど小説を書いてる、って状況ですよ。ラーメンズ見る時間が長いせいで多分、書いてる時間6時間くらいだけど、これ、結構骨が折れる。というか、頭がおかしくなる。ホントに。六時間だーって書いてる。すげー肘が痛いですいま。テニス肘っていうの? なんか真っ赤になってます。
で、それが一週間。逆によくやったな、って思いますけど、まあ、書き上がりました。最初はコメディだと思って書いてたら、ドシリアスになって、ものすごい沈鬱な気分になって、この三日間くらいは「泣きたい、泣かせてくれ」と呟きながらラーメンズのコントを見ては泣き、バナナマンを見ては泣き、MGS4のノベライズの小島秀夫監督の伊藤計劃に寄せたメッセージを読んでは号泣し、布団に入ってうんうん唸ってからまた再起動、パソコンに向かって物語を書き綴る。泣きながらせんべいを齧り、キーボードを叩く。……これでそれほど話を盛ってないのがつらいところなんだよなあ。
まあ、そんなふうにして一週間で八万字をひねり出しました。もっと文字数多くなるかと不安になりましたが、まあこれくらいになって安心しました。文量が多けりゃ良いってもんじゃないですからね。
これだけ苦労したのに、速読家と呼ばれる人たちは一晩で読んでしまうんだなあ、と考えるとやってられなくなりますが、まあ、いいや。

えっと、出来としては、いちおう、2014年9月からべろべろと吐き出してきたことを、そのまんまぎゅっと詰め込んでみました、みたいな内容になりました。
音楽のジャンルにハッピーハードコアと呼ばれる、まあ、俺が好きでよく聞いてるジャンルがあるんですが、BEMANIの曲で「Engraved marked」という曲があります。これはハッピーサッドコアというジャンル名がついています。ハッピーなのにサッド。まあ、そんな内容になったと思います。
正直言って、熱にうなされるように書いたので、本気でこの一週間の記憶が曖昧なので、読み返すのが怖いんですが、流石にバランス整えなきゃヤバそうなので、明日から訂正作業に入ります。わ。

それにしても、書き上げた瞬間に「もう二度とやんねえ!」と叫びそうになったのは、このジャンルでは初めてですね。
DTMとかしょっちゅう言ってて、たまにDDRとかやるとそんなこと言ってますが、まあ、どちらも懲りずにやり続けています。
でも、もう二度とやりたくないです。
そんなこと考えながら、既に次に書く話の構成を考え始めてます。
  1. 2015/03/18(水) 03:42:15|
  2. 尋常の日記・雑記
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すべての道はパリに通ず

「よう、小説書いてる?」
って話しかけてくれる友人が居ることをすっかり忘れていて、なんとも救われた気分になると同時に、後ろめたい気持ちが多くあるわけです。物書きの卵にすらなりかけていないのに、物を書きたい、そして書いている、と人に言うのは、自分の卑小さ故になかなか難しいことなのです。だから、言ってもごく一部の人だし、そのごく一部の大多数の人は「頑張ってるんだなあ」と、密かに応援してくれているわけです。いつの間にかそういう噂に尾ひれがついてなんかの賞を受賞していたことになっていたのにはビビったけど。それならあんなケチくさい生活はしていない。
まあそれは置いといて、ともかくもまあ、そんな自分に期待を残してくれていて踏み込んできてくれる人というのが居るのを、申し訳ないことにすっかり忘れていた、ということですね。
今になって思うことですけど、別に俺にとって小説を書くということはレゾンデートルではない。簡単な話、素晴らしいものを目撃してしまった時、俺もこういうことをやってみたい!という子供心な発想が頭をもたげるんですね。つまり順番の問題であって、物語を書くことが人生において一番初めに来たに過ぎなかった。その証拠にDTMという形ながら(拙いながら)音楽を作っているし、合唱という『今ここ』のクラシカルな音楽もやってきた。だから、俺という人を思い浮かべると、素直にそちらへ接続する向きが多いと思う。
だからこそ俺という人と言えば小説、と接続されたのは至極斬新だったわけですね。
俺の物を書くアクティビティはそれこそ、このブログの長さと同じだけの歴史を持っているわけですが、そんな経験は初めてでした。2008年からやってるんだよ、このブログ……MGS4と同じ年か。
だから何じゃ、という話ですが、別に一人じゃないんだな、っていう感想がそのまま結論ですね。
人はまあ、絶対に孤独だけど、絶対に皮膚という輪郭を侵して生きてゆくことはできないけど、だからこそ文章を書いたり、歌を歌ったり、絵を描いたりする。それこそ、命を削ってね。
そのぜいぜいいいながら吐き出した「何か」を、一人でも誰かが受け取ってくれるのであれば、究極、良いんじゃないですかね。

昔の記事を読み返していて、すごい新しいと思える2014年9月の記事が既に半年前のものと知ってびっくりしてます。
「そこまできてようやく僕は納得した。自分は凡人だと。」
と、すご~いアタリマエのことに気づいて、自分の頭で整理して、自分の言葉を使って書き散らした、当時としては乱文だと思っていた記事だけど、思ったよりも自分の根っこになってた、でもまあアタリマエのことなんだから当たり前なんだけど。
よく考えたら、今書いている物語の話をちゃんとしてなかったなあ、と思ったので、いま打ち明けることにします。
http://mypage.syosetu.com/27332/
過去の作品の紹介とかはっきり言ってしたくないんですが、まあ、このURLで飛んだ先のリストにある「マイリビングライセンス」、これが初めて公募に投稿した作品ですね。そして、一番成績が良かった(二次落選)。で、そのテーマというか設定を踏襲して「紅蓮、蒼白、立ち返りて晦冥」を書く。実質、三年越しにリメイクをしたことになる。キャラも筋書きもぜ~んぶ変えて書いた。恐らく校訂も過去最高の手間暇をかけて、締め切り直前は死ぬ気で作業して、泣きながら投稿。結果はまあ一次落選。で、それが2014年9月。
これは死ぬほど悔しかったので、また同じ設定でまた違う物語を書くことにしました。それが今書いているやつ。去年の11月くらいから書いてたんですけど、忙しいのと構想に行き詰まったのとであんまり進めてなくて、今月入ってようやく精を出してやってる感じですね。
内容としては、何もかも王道に戻りました。結局そこから始まったので、そうならざるを得なかったわけですが。
まだ七万字程度なんですが、今月中に形になればいいな~とか思ってます。どうせなら泣きながら書き上げたいな、とか考えてます。命削った甲斐があるようなものを、と。
  1. 2015/03/11(水) 20:44:33|
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喜びの空



猫叉Masterの名曲『The sky of sadness』の真逆のタイトルを。なんて不遜なことを……と思ってるし、あんま良い出来とは思ってないけど、だってタイトル浮かばなかったんだもの!
やっぱり環境が変わるとなれるまで大変だなあ、と。
ま、趣味なのでのんびりやりますが、それでもプロのを聞くとどうやってんの、それ……と呆然とすることばっかりです。ま、趣味なのでのんびりやりますが。

日々就活イベントを練り歩いてます。
で、この前、動く歩道に乗ってぼーっとしてたら、いきなり知らん人に話しかけられて焦りました。俺も話し相手が欲しかったので丁度良かったわ~、なんて言う訳が無く、一体何なんだとしか思わなかったけど、これはきっとアレだ、社会に出た時のためのコミュニケーション能力成長訓練の一環だ、と思って付き合うことに。
まあ、結論から言うとぶっちゃけ何の利益も無くって、強いて言うなら物語とかでやけに初対面なのに気さくに話す人達のことを有り得ないと思っていたのを、少し改める程度のことでした。
ただ、こういう相手の素性が分からんのに、大学を訊くのはどういうことなんだろう、って思いました。しかも自分から名乗らずに。これって、学校か学部学科が一緒じゃない限りへぇ~、としかならないし、相手の大学を知らなかったら気まずくなるし、何の良いことも無いんじゃないか。……そして、何もいいことはなかった。コンプレックスに対するコンプレックスを抱くことになるとは。
今日もぼちぼち出歩いて、帰るときに後ろの男女二人組が「いや、頭の程度がバレるから大学は察しようってことで」「確かに、訊かないほうがいいね」と話してて、そう、それが正解、と思った。というか、なに君たち今日初対面なの。就活で出会うってどゆこと。

  1. 2015/03/09(月) 21:26:32|
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失敗を失敗する

プライドの話をしようと思ってました。

pride (http://ejje.weblio.jp/content/pride)
1【不可算名詞】 [また a pride] 自慢,得意,満足 〔in〕《★【類語】 ⇒vanity》.

2【不可算名詞】 自尊心; 誇り,プライド 《★3 の意味と区別して true pride ともいう》.

3【不可算名詞】 うぬぼれ,高慢,思い上がり 《★2 の意味と区別して false pride ともいう》.

演習の発表とかで、「結論がシンプルに過ぎる」とよく指摘されるんですが、自分は表現の方を重視しちゃうので学術的な文章ではシンプルにならざるを得ないんですね。そういうわけで、今回もとてもシンプルに。
2のポジティブな意味が「true」、3のネガティブな意味が「false」となってるのが面白いですね。英語圏の人はこれらをプライドの一言で使い分けないが、本来の意味は2に依っている。こっちが原義なのは一目瞭然です。語源は知りませんが。
自尊心とか誇りとかいう、プライドが無い人って、正直いないと思います。いやいや、俺にはそんなの無いよ、だって……と言いたい人もいるかも知れないが、そうやって言うこと自体がプライドでしょ? 生きている以上本当のプライドは存在する。
で、それと同時に失敗したプライドも存在する。うぬぼれ、高慢、思いあがり、か。本当のプライドとニセのプライドは余裕で同居する。同居している。そして、こちらも必ず存在している。この際程度は確かに問題であるけれど、(例えば自己分析みたいに)自分に対する評価をしなくちゃいけない時にアウトプットする自分像だって、結局コレに過ぎないと思う。
で、その二つの対置について考えていくと、自惚れの類は、虚像であると言えるかもしれません。自分は『こう』である、という思い込み。こいつは俺がいなくちゃ生きていけないんだ。俺はやればできる奴なんだ。俺は本当は強いのに。俺はこんな奴よりもずっとできるのに。エトセトラ。こういう典型的な思い込みは偏ったプライドと言えるけれども、その典型的な思い込みの上にこそ、本当のプライドが根を張っている。良いか悪いかで語られがちだけど、本当の尊厳はそんなつまらない区分で終わるようなものではない。それはニセでしかないのです。
で、TrueはFalseに根を張っていると言いましたが、Trueが本物である以上、人はトゥルー以上の存在になれない。そしてFalseを基にしている以上、トゥルーは大きくニセに依存していることになる。
だから、定期的にニセをニセだとはっきりと理解し、その上に生えるトゥルーの木を切り倒すことが重要になってくるわけです。(なんとなく、坂口安吾の「文学のふるさと」に寄っていくような感じですが、ここ一ヶ月くらいずっとこんな感じなので許してください。)そして始め直す。何度でも始め直すこと。初心忘るべからずですね。この言葉、世阿弥が『花鑑』で使った言葉ですが、よく思われる『始めたばかりの頃の気持ち』が初心なのではなく、こういう『始め直し』について言ったことです。何かを会得した時、何かに気がついた時、自分の思考や認識や表現がガラリと変わる瞬間がある(あるんです)けど、そのときのことを『初心』と言って、忘れるな、と言っているわけです。
だから、『失敗を失敗する』こと。マイナスをマイナスでかけてプラスにする、みたいですけど、これが数学と違う所は永遠に失敗であり続けることです。え~、どうせ失敗するのかよ~、ってなるところですが、そうではない。それはあなたにとっての永遠の失敗に過ぎないから。そもそも、成功したい!という気概で、プライドというものは扱うべきではない、と思うのです。成功と失敗、勝ち組と負け組という括りのうちでしか、プライド(を始めとすること)を考えられないのであれば、メビウスの輪みたいな偽物のプライドの中で、永遠に回り続けていればいい……とか辛辣に思っちゃうわけです。

プライドの失敗の仕方は、ただ外に出ることだと思います。家から、というのもそうですが、自分の内から出ることがその主たる意味です。なんだかこの先まで行くと、自己啓発っぽくなるので嫌なので(既にそうなってるかも知れないけど)この辺にしときますが、やっぱり本を読むことだなあ、と思う。本だけじゃないけど……あらゆる芸術、カルチャーと呼ばれるものだと思うけど……手っ取り早いのは、やはり言葉を持つということ、かなあ、と思います。それだけじゃないとも、思うけど……なんだろう。
  1. 2015/03/06(金) 23:29:33|
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プロフィール

可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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