弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

日本人の美意識

今日現代文の授業で、人生うまくいっていると自我というものがなかなか生まれない、という話を聞いてなるほどそりゃそうだな、と思った。自我のポジショニングなんてしなくても物事が成立するなら、そりゃ最低限の労力で必要なことして生まれた余裕でしたいことをすることこそが人生の骨頂だ、と思い込む人が現れてもおかしくない、俺もそうだったしね。特に日本人なんかは社会がそのまま個性のようなもんだから、そういう意味では社会に帰属している時点で自我が確立してると錯覚するのもムリはないね。そういうのを「世間」っていう風に言ってた評論家が居た気がするんだけど、誰だったかな。
それで、最近もっぱら考えてるのは、そういう「世間」のしがらみの中のアイデンティティっていうのはどういうふうに確立するべきなのか、っていう本質を捉えたら一体どんなメリットがあるのか、ということで、仮に一人で「おっしゃ、俺確立したwww」とか言っても、他の人が( ゚д゚)ポカーンとしてたらそれは東京の空を突き刺すスカイツリーみたいなもんだよ。出る杭は打たれるとかそういうレベルじゃない。いかに、そういうところを啓蒙していくかが問題なんじゃないかね。だから現代文という科目があるんじゃないのかね。
それで、最初の話に戻るけど「最近の若いもんは……」という呟きがなんとも苦苦しく聞こえてしょうがない。思うんだけれども経験値の未熟な人を呆れるのは、自分も呆れられていたことに気づいてないか、自分の力で立身してない、社会の勢いに呑まれて自分を気づいたら作り上げたからなんじゃないか、と思うんだよね。のらりくらりとした青年期を送って、広い世界に過激にすぎるほど刺激されようやく自分の有り方を模索し始めた、それこそ上の世代に「青二才」と散々言われたような人こそが、そういう自分に重ね合わせて嫌悪してか、そういうことを言うのではないかとね。確かにゆとりという言葉が指すように、自我云々の話の表も裏もわかっちゃいなくて生きていく胆力が希薄すぎる若者もいるにはいるが、それがマジョリティであるかのような、チワワを見てそれがイヌの全てかと思い込むような狭量の具現とも思える言葉だよね。つまり、あまりにも自分の尺度をあてにし過ぎている。自分が最低限のボーダーライン。50歳の最低限を、20代に求めるのは無謀なんじゃないかと思うがね……。
ま、壮年の人を例にとったが学校という社会に於いても全く同じだし、部活については特にそうじゃねえか。「どうしてそうなるのか理解できない」という自分の尺度が突出しすぎるヤツが多すぎて困った。社会を作って慣れ合うくせに、その社会の尺度を見定めようとしてない。そんでもって、その自分の尺度が自我だと思い込んでる。
俺もそういう点に関してはさっぱり分かってない。しがらみに引っ張られていく集団に属している限り、その答えは見つからない気がする。だから、俺は一人が好きなんだと思う。誰よりも早く教室を飛び出すんだ。
俺が受験勉強するのは、別段叶えたい夢があるわけでも学びたい学問があるからというわけでもない、ただ単に自分の限界をどこまで引き伸ばせるのか知りたいだけ。まぁ、こういう言ってしまうと政経の先生が言っていた「大学で何を学ぶかが問題で、どこに行くかは問題じゃない」という学歴社会への批判に対極することになるわけだけれども、それでも敢えて言うとするならば肩書きが欲しい。能力の尺度の肩書きが欲しい。「これだけの器が俺にはありますよ」という指標が、誰もが共通して持つ社会の尺度の目盛りが欲しい。「ええ、すご……」と賛美する人でなくて、「なるほど」と思ってくれるような人と付き合っていきたい。それが形式上の信頼だったとしても、それは最初のうちだけだよ、そこを足掛けに本当の信頼を築いていく。
そんな風に現時点では考えてる、そりゃあまだまだ水槽の中で飼い慣らされてるだけだから、これが正しい姿勢なのかどうか分からんけれども、妥当性に欠いた妥協に甘んじるよりかは数百倍マシでしょ?


で、ここから少し汚い話になるから、悪寒を感じた人は読むことをやめるのを推奨するんだども、いくぶんか真面目な受験生な俺は一問一答の問題集をトイレに持ち込んでやってたんです。トイレの時間って、すっごい無駄じゃない? ただまっ更な壁を見つめながら時間が経つのを待つだけなんだぜ、その時間がもったいない、というのが俺の信条なのでそういうことをしているわけですが(無論、外ではそんなことしない)、コトを済ませて立ち上がって流した瞬間に、問題集と俺の指先とにどんないさかいがあったのかは知らないけれども、ぽーんと冊子が便器の中に吸い込まれていって、あわや流されるところを咄嗟に拾い上げたんだけれども、不潔な液体がばしゃーとトイレに広がって、本はもちろんずぶ濡れ、これほど絶望感を感じたのは久しぶりです。いや、ただ雨とかに濡れてこのくらい濡れたのならまだ良い、しかし、便器に落ちた本だぜ? 尋常な清潔感からすれば、そこまで勉強熱心なのは却って狂気と思われても仕方ありません。泣く泣く処分して新しいものを買いに行ってきました。
で、帰ってきたら親がトイレの掃除をしてる。そういや、問題集の悲劇に気を取られすぎてトイレの惨劇のことをすっかり忘れてた。最低限の処理はしたんだけどね。
えも言われぬ罪悪感とともに布団に飛び込んだら、意識が昏迷して、夕飯のときに目を覚ましたけれども気分は最悪。
じっとりとした気分で今に至る次第です。
そういや、先月行われた早大入試プレテストの結果が帰ってきたけれども、国語が凄い脚引っ張ってた。恐らく国語が英語や日本史並だったら学部で二桁も問題なかったと思われるのに、平均のらなかった。
……今、国語科目をやってから寝るか、そのまま寝るか悩んでるんだけれども、どうしようかね。

そういや、今日は体育祭翌日だというのに学校があるせいで、皆めちゃくちゃ愚痴りつつ登校して、サボりのヤツも多かった。日本文化史に至っては、三分の一がいなかったからね。
まぁ俺は皆勤が欲しいので学校にいったわけだが。

明日はじっくりと休む。決めたんだ。

ブログランキング・にほんブログ村へ
スポンサーサイト
  1. 2011/09/16(金) 23:14:31|
  2. 尋常の日記・雑記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<お。 | ホーム | 生涯最後の運動の祭典>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://ka24to.blog19.fc2.com/tb.php/1027-67831b35
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

twitter

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。