弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/21098.htmlなるものをやっと読み終えました。1962年から2012年までの50年で、一年につき一作品を収録したもの。硬派なSFからほんわかぱっぱなSFまでいっぱい入ってて、単純に50人の作家の作品を読んだことになります。
星新一とかは、もう安定のクオリティでしたけど、他にもいくらか印象に残った人たちを挙げておきたいと思います。

『おれに関する噂 筒井康隆』1972年
ああ~、これこれ!って感じですね。SFならではの、未来の暗示といやつ。つまりSNSによって個人個人が監視されている状態、とりわけ炎上という現象を彷彿とさせますね。
簡単なあらすじを言うと、新聞とかテレビとかラジオとかいうマスコミに、何故か一個人にすぎない「おれ」についての報道が執拗に行われるものです。
ツイッターとかで、例えば誰かにみつかったら「○○さんを新宿でみたw」とか言われちゃうわけだし、誰かと一緒にとった写真を勝手にフェイスブックに上げたりしたら、「ああこの人はこういう人と友達でこういうところに行くんだな」とか分かっちゃうわけ。相互に監視しあってるわけです。スマホもメディアだから、つまりこの小説ほど極端ではないが、でも皆に恒常的に起こっていることではあるんです。本当に俺はこういうSNSの局面が大嫌いで、嫌だな嫌だな、と思いながら過ごしてます。
こんなことを40年前に示唆するような作品があったとは…と驚愕しました。

1974年『名残の雪 眉村卓』
歴史IFの話ですね。
新選組に伊藤なんて人居たっけ??って思いながら読み進めてましたが……最後、ああ~~ってなってあ~~~~~~~~~ってなりました。空洞になっていてよく響く鐘が、こーん、といつまでもその余韻を残しながら、建物を部屋を鼓膜を延々と震わせ続けるような、素晴らしい読了感を得ました。
あとで知ったんですが、眉村卓ってライトノベルの先駆けのようなもの(筒井康隆の時かけ)を書いてたんですね。もりもり興味が出ました。

1978年『ねこひきのオルオラネ 夢枕獏』
夢枕獏って名前しか知らなくて、バイオレンスな作品を描くことで有名らしい?ですが、これはとてもほのぼのしてますね。
で、なんといっても目玉は「ねこひき」の表現。まあ、読めば分かるんですが、にゃんにゃんごろごろぐあーぐあーを、紙面いっぱいにエライ勢いで使ってるわけですね。
ああ~、これはアレだ、よく「最近のライトノベルやべえ」みたいなところで見かける感じのやつだ!っていうやつを想起させますね。バカじゃねえのって思っちゃいますね。そんな試みはこうして何十年前、いやそれよりもずっと前にセルバンテスとかがやってることであって、ちょっと奇抜なことをやった程度で「小説を放棄した」とか考えちゃう人は教養が無さすぎますね。まあ、教養が無いことが悪いことじゃないですけど……。

1987『見果てぬ風 中井紀夫』
ロマンあふれる、あふれまくって泣いちゃいますね。壁に挟まれた世界で、壁の果てを見に行く物語です。
しかも、その動機が「壁のない荒野で風を浴びてみたい」って。なんだか、読んでいる我々も無限に歩き続けられるような心地で読み進めてしまいます。何があるのかわからないのに、何かがあると確信して歩き続けられる。でも、どこかでその歩みは確実に止まってしまう。それはここちの良い場所だったり、誰かからの束縛だったりする。うん、人生みたいだなあ。泣きそうになりました。

2000『嘔吐した宇宙飛行士 田中啓文』
最高。

2004『日本改暦事情 冲方丁』
天地明察の原型になったものです。ぶっちゃけ、天地明察読む暇がない人は、こちらを読めばいいのでは……ってくらいしゅっとまとまった内容。随分コンパクトになっているので、感動はちょっと薄れますけど、その分すっと終わってくれるので読むのは楽です。
こういうのを読むと、歴史の教科書に出てくる人って、一人残らず本当に凄いことをした人なんだなあって、思います。本当に。江戸時代の学者なんかはもちろんそうだけど(本居宣長とかホントヤバイ)、明治以降の文学史に登場する人たち、一人残らずヤバイ。歴史に名を刻むっていうのは、つまりそういうことであって、号泣しながらの記者会見とかは違うってことなんですね(雀の涙ほどの時事要素)。

2007『The Indifference Engine 伊藤計劃』
メタルギア4のノベライズした人らしいです。
戦争文学は結構読んでましたが(戦争と平和は挫折した)、これは近未来の、CODBO2とかその辺の世界観のものですね。無人機で戦争をする時代の話で、民族対立の話です。
ゼマとホアという種族がいて、一応は両種族の政府が存在するがこれは体裁に過ぎず、お互いは超仲が悪くて戦争している。それにアメリカが介入してきてオランダが調停する。すごい皮肉が効いてますが、戦争は終わらない。ゼマはホアを死ぬほど憎んでるし、逆もまた然りである。「戦争終わったよ!」って上から言われたところで、兵士たちの憎しみは終わらない。
で、その民族対立を緩和するためにアメリカはインディファレンスエンジンを用いるわけです。公平化を行う機械。これによって、ゼマとホアという民族はぱっと顔を見て、どちらがどちらか分からなくなってしまう。そういう認識をするよう脳が改造されたわけです。「アメリカ人は見分けがつかないらしいが、見ればすぐ分かる」ホアとゼマの区別がつかなくなる。すると? 相手はホアなのか、ゼマなのか、全く分からない。もし、ホアだったら全力で憎む相手だ、見た目で分からなくなっても、それは変わらない。でも、アメリカ人は見分けがつかなくなること=一緒になることで平和になると信じて疑わない。
「戦争」というものは、別に宣戦布告!とか終戦!とかそういうものの上で行われているわけではないというのがとてもよく分かりますね。1945に日本は敗戦するわけですけど、沖縄はまだ戦争が続いていた、っていうのはよく言われることです。最後に主人公が自分で言い放ちます、「ぼくが戦争である」。憎むべき相手が誰だか分からなくなった以上、もうその矛先は無差別に向くしか無い。
なんともいえない気分でこの物語を読了した後に、『ひめゆりの塔』(初期版)という映画を見たんですけど、あんなイライラする映画久しぶりにみました。先生にひたすら「想像力の無さが浮き彫りに」とディスっていたので、そうだそうだ、ひたすら同調。
戦争を観念から語ると、「なんて可哀想なの! やめようよ戦争!」とかいう、小学生並の感情論になりますね。
でもこの作品は……兵士の内面に寄り添って書かれている。れっきとした当事者なのです。だからその殺人の理由もとても論理的です。「家族を殺された復讐」「憎しみ」。それを覆すのに軽率なことをしては、逆に戦争を拡大することにつながる、と。
……最後だけ、なんだか支離滅裂になりましたなあ。眠いからね。というか、難しすぎます。

まあ、こんなところですかね。
他は、もちろん秀作ぞろいなので、興味あったら読んでみては……。
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  1. 2014/07/09(水) 00:41:33|
  2. 尋常の日記・雑記
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可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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