弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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悪人笑気説

大昔に書いて、どっかに投稿する予定だった短編の存在をすっかり忘れていたので、掲載します。



 石留は自他共に認める、悪人だ。
 自他共に、とは言っても「他」の方に含まれるのは姉の秀子だけだった。その他には両親は勿論友人もいない。この身寄りの少なさが更に「悪人」という属性をリアルにしてみせるのだが、もちろんそれを誇って議員バッヂの様に扱っているわけではなく、ある意味職人に似たような響きで以って、慎ましくその言葉を使うのだった。
 石留の朝は大して早くない。昼過ぎに起きてきて、ぼけっとして過ごす。睡眠時間が異常に長いのは、それほど活動しなくても生きていけるからで、平均十二時間は眠っている。長く睡眠を取り過ぎても身体に悪い、という研究もあるらしいが、それが本当かどうか確かめてやろう、くらいの気負いで毎日いびきも忘れて眠っている。
 ようやく起きて居間に向かうと、姉の秀子も欠伸をしながらトースターの前に佇んでいた。彼女は石留と違って真っ当な社会人である。フリーランスのイラストレイターとして朝も夜もない生活を送っているので、たまにこうして起床の時間がかぶったりした。
「おはよう」
「おはよう。これ食べたら、すぐ出るから」
 姉弟二人暮らしをずっと続けてきたのだから、これくらいの会話だって大分充実しているほうだ。果たして挨拶をきちんとする姉弟が全国にどれほどいるものか。『行けたら行く!』と言って本当に来る人間ほどの希少さがあるんじゃないか。石留はそんな風に思いながら、焼きたてのトースターを受け取るとそのまま咥えた。
 秀子はさっさとトースターをたいらげると、出かけて行ってしまった。石留はちぎったパンの欠片をのんびりとひとつひとつ飲み込む。身内贔屓というわけではなく、おそらく一般的に見て秀子は美人だと思う。それも、服装や髪型に左右されることのない、石留の思うところの本質的な美しさを持っている。絵も上手い。アニメ等のポップなイラストを専門としているが、そこにもどこか美しさが内在している。なんというか、美に愛された人だな、と石留は決して口にはしないが、そう姉のことを評価していた。
 美人と悪人。……なんとなく、その取り合わせにも美学を感じてしまう。
 石留は十七時過ぎになって、少しだけ高価なスーツを着こみ、中身の入っていない黒地の鞄を持ち、特注の革靴を履き、最新のiPhoneをポケットに入れて、家を出た。仕事だ。

 最寄り駅から適当な電車に乗り込み、定時帰りの人間たちにまぎれてiPhoneをいじくる。
 石留は電車の中で、誰に声をかけるか考えていた。今日はシンプルに金を頂きたい気分だったのと、異性と会話をしたい気分だったので、椅子に座って熱心に文庫本を読んでいる女の子に狙いをつけた。ゆるくカーブのかかったさらさらとした黒い髪が特徴的だった。逆に言えば、それくらいしか特徴がなかった。スーツを着ているが、なんとなく身の丈にあっていなくて、就職活動中ですが頑張ってます、という風情だったが、こんな簡単にぱっと見で値踏みされては相手もさぞかし困るだろうと思って石留は考えるのをやめ、彼女が電車を降りるのを待った。
 彼女は三つほど先の駅で降りた。石留も自然な流れでそれについていく。
 改札へ向かう階段に差し掛かったところで、石留は彼女に声をかけた。
「やあ、久しぶり」
 彼女は自分が声を掛けられたのか、一瞬判断できなかったようで少しキョロキョロとしたが、すぐに石留に気づいて破顔した。
「わあ、久しぶり!」
 無邪気な笑い方だった。なるほど可愛いな、と石留は素直に思った。
 ……無論、この女の子と会話をするのは初めてである。なにせ、さっき見つけたばっかりなのだからそれはそうで、石留は彼女について何も知らない。バイトの大学生なのか、どこかの正社員なのか、どこかの諜報機関の諜報員なのか、本当に就活三年目なのか、知ったことではない。
 石留はある種の超能力を持っている。それは、初対面の全く無関係の相手の人間関係に土足で立ち入れる能力だった。その辺の、適当な人に話しかけるだけで、相手は石留を知り合いと認知して会話が始まる。誰とでも旧知の仲になることができるのだ。しかも、尚嬉しいことに石留はその文脈をいじくることができる。つまり、昔お前から金を借りていたのに返してもらってないぞ、と冗談交じりに言うと、相手はああ、そうだった、と笑いながら金を返してくれる。もちろん、嘘っぱちなのだが石留は何のリスクもなく金を受け取ることが出来る。相手と別れてしまえばすぐに相手は自分のことを忘れて、金は誰か友人に返したんだった、と勝手に辻褄を合わせてくれる。
 その能力を利用して、石留はこれまで生きてきた。核家族のお父さんが頑張って手に入れるような一軒家をこの若さで手に入れ、誰もが羨むような高級車を姉の秀子が乗り回すことができるのも、その虚構のツテを伝ってできたことなのであった。
 それにしても不思議だ、どうして俺のことなんか知らない筈なのに、こんな笑顔ができるのか。
 石留は被害者となる彼らのことがよくわからない。万が一、ここで「いや冗談です」と言ったら、彼女はどんな顔をして俺のもとを去るのだろうか。ここまできておいて、今更そんなことを言いはしないが、たまにそうしたくなる。
 「ご飯でも食べない?」と言うと、「良いですね、ちょうどそう思っていたところなんですよ!」と、彼女は答えた。まあ、それはそうだ、そうなるようにできている。
 石留はその名前も知らない女の子と仲睦まじげに、近くのファミレスへと入った。
「和風スペード印のハンバーグとドリンクバー」
「北風のくれたミートソースパスタ」
「それと山盛りポテト」
 二人は通い慣れたように、屈託なく注文を済ませた。
「相変わらず、ポテト好きだな」
 適当にそう言うと、彼女はふふっと笑って、
「まあね。昔はいも姫って呼ばれてただけあるよ」
「ひどいあだ名だな」
 石留は笑いながら、俺はこの子にとっての何なんだろうか、と考える。恋人ではない。今まで声をかけた相手が恋人だったケースは絶無であり、大抵は親戚の誰か、友人の友人、塾の先生、共演者、コンビニの常連……とか、そういういてもいなくても変わらないような立ち位置に入ることが多い。
「仕事何やってるんだっけ」
 女の子──これからはいも姫と呼んでしまうことにしよう──がそう訊ねてきた。石留は、んー、と少し考えてから、
「交通関連の仕事をしてる」
 と言った。もちろん嘘っぱちで、昨日見た映画からそのまま横取りしてきた。
 いも姫は「へー」とあんまり興味無さそうな返事を寄越す。まあ、仮に興味を持ってしまったら大変で石留は次から次へと嘘っぱちを並べなければいけない。そのうち、近い将来、月に高速道路を敷設するんだ……、とかなんだかSFじみた話をしてしまうことになる。
「あのさー、あれあるじゃん。コンビニとかで『不要なレシートはこちらにお入れください』みたいなやつ」
 いも姫はドリンクバーからコーラを取って戻ってきて、思い出したように口に出した。まるで女友達と会話しているようだ。
「あるな」
「あれって、レシートの墓場だよね、墓場」
「レシートって紙になった時点で既に死んでると思うんだけど」
「それが集められてるから墓場なんだよ。最後の審判を待ってるんだよ」
 そんな会話をしているところに料理が来た。いも姫は何よりも早くポテトフライを摘んで嬉しそうに口に放り込む。
 石留は未だに自分の立ち位置がつかめない。とはいえ、自分がどの立場にあるかなんて分かることは稀だし、分かる必要などはない。石留にあの一軒家をくれた、人を激しく毛嫌いしているらしい老人だって、結局石留の正体を明かさなかった。冗談めかして「なんたってお前は俺の息子だからな」と言っていたくらいで、どうもそのくらい重宝されていたらしいが……まあ、別に良い。もう二度と会うことはないのだから。
 お互いの料理が無くなりかけてきたところで、石留はいよいよ『仕事』を切り出す。
「そういえば、俺──」
 お前に金貸してなかったっけ?
 石留が冗談っぽく、少しおどけて言いかけた時、電子音が甲高く鳴り響いた。ファンファーレだ。少年時代、人の話題についていくためにやっていたあのRPGのファンファーレだった。そのインパクトは、うっかり石留が言葉を止めてしまうのに十分だった。 
「ごめん、ちょっと良い?」
 いも姫は携帯を取り出すと、耳にあてがって「もしもし?」と言いながら席を立った。石留はやれやれ、と最後のパスタを口に入れる。過去に一度だけ、言うタイミングと相手を間違えて怒らせたことがあった。それが微妙にトラウマになっていて、そのせいでいつものこの瞬間が一番緊張するというのに、なんとも拍子ハズレな展開だ。
 数分後、いも姫が戻ってきた。さっきまでの脳天気さをどこかへ売り渡してきたかのように、深刻な顔をしていた。あまりの変貌に石留はぎょっとして、金の話を出しにくくなってしまった。
「どうした?」
「…………」
 いも姫は顔を警戒色に染めて、ちらちらと周りを見渡している。その様子を見ているこっちまで不安になってくるほど、挙動不審だ。
 なんだろう、すごい嫌な予感がしてきた。今日の仕事はもう納めてさっさと帰ったほうがいいのでは、と思うほどだったが、この状況から自然に抜け出すのは少々手間がかかる。電話がかかって来たふりをしてそのままこの建物を出てしまえば良いんだろうが──、それはちょっと悪い気がする。
 やがていも姫は、ちょっと思いつめたような口ぶりで、
「ちょっとここじゃマズイから……、外に出よっか?」

 石留が家に帰ると、姉の秀子が居間のカーペットの上に大の字に寝そべってぐったりとしていた。節電モードだ。普段、バリバリと働くことができる代わりに、不定期にこうして空気を抜かないとぶっ倒れてしまう……というのが本人の言い分である。そのお陰か、石留は彼女がぶっ倒れたところを見たことがない。単に倒れているところなら、いまこうして見ているわけだが。
 石留はスツールに腰をかけて、買って帰ってきたビール缶の栓を開けた。プシュッ、と小気味の良い音が響く。
「あ、いいな」
 姉があくび混じりに声をあげた。石留は一口飲んでから無愛想な声で、
「別によくはない」
「確かに。お酒飲んでるなんて珍しい」
 その通りで、石留は仕事の一環で飲むことはあっても、家で晩酌めいたことはしない。ほとんどこれが初めてのようなものである。秀子はのそのそと起き上がってきて、石留の買ってきたもう一本の缶を勝手にとった。石留はそれに対して何も言わず、缶を口元に運ぶ。
「仕事でなにかあったの?」
 姉はソファにどさっと座りながら、さりげない口調でそう訊ねてくる。あまりにもさりげないので、さも儀礼的な挨拶のようにも感じる。
「そんなとこ」
「ふぅん。あんたもそんな仕事さっさとやめたらいいのに」
「そういうわけにもいかない。今更就職なんてできないし」
 秀子は石留の仕事内容を知っているほとんど唯一の人間であり、唯一の肉親である。それなのに、彼女と話す時に大して解放感を得ることはない。何故だろう。
「昔と変わらないねえ、そういうとこ」
 秀子は栓を開け、一口飲んだ。「でも、そろそろもう潮時かもしれないよ。世の中不景気だからさ」
「……もう俺は悪人に堕ちたんだ。今更更生なんてできない」
「あれ、まだ自分を悪人だなんて思ってたんだ」
 姉は驚いたふうに目を丸くする。その反応に、石留も流石に顔を渋くした。
「どういうこと」
「あんたのやってることなんて悪人のそれじゃないさ。道端に生きている花を摘んでくるのとさして変わらない。本当の悪人ってのは、もっとたくさんの人に『うえっ』て思われるようなことをする人のことだよ」
「俺のはせせこましいと」
「正義に楯突いてるわけでもないしね」
 石留はゆっくりと息をつきながら、缶に残った液体を飲み干した。まあ、そうだ。やっていることは決して正しいことではないから、安易にその対極の悪を名乗っていたに過ぎない。世の中にはもっとちゃんとした悪人が存在する。
「もう寝るの?」
 石留が立ち上がって空になったビール缶をゴミ箱に放り投げると、秀子がとろんとした目で見上げてきた。彼女はアルコールにとても弱いらしいが、思えば一緒に飲んだのは今日が初めてだったのかも知れない。石留は新鮮な驚きを以ってやや酩酊している姉を見下ろした。
「明日早いから」
「そう。おやすみ」
 そう言って、秀子は自分が横になった。石留は仕方なく、部屋から毛布を持ってきて彼女の身体にかけてやった。悪人というには確かにお人好しかもしれない。……でも、明日にはれっきとした悪人にならなくてはならないのだ。
 石留は酒の回った身体を、少し震わせた。
 
 翌朝八時が待ち合わせだった。人気のない路地裏に向かうと黒いワゴン車が一台停まっていて、運転席に一人の男が乗っていた。彼は件のいも姫の彼氏である。黒いスウェットに身を包んでいる。石留は安物のスーツ姿で彼に近づいていった。
「やあ、すみませんね」
 彼は石留に気が付くと、窓を下ろしてそう声をかけてきた。初めて見る顔だが、相手はそうでないらしい。こんなことを頼まれるほどだから、相当信頼されている(し合っている)仲らしい。
 石留は助手席に乗り込んだ。
「場所は?」
「住宅街の外れです」
 黒スウェットの彼は言いながら、エンジンをかける。いかにも長いことつるんでやってきた仲間、という感じがして、映画のワンシーンのようだ。石留にとっては初対面だが。
「前から思ってたんですけど、なんでスーツなんですか?」
 ハンドルを軽快に繰りながら、彼は問う。「前から」も何も、今会うのが初めてだというのに。それでも石留はなんでもないように答える。
「これしか服がない」
「デートのときとかどうするんですか?」
「会社帰りだって言う」
「休日のデートでも?」
「会社勤めに休日なんてない」
「ですよね。だからカタギなんてやってられない」
 そう言ってくつくつ笑う彼は、見た目はいかにも優秀で真面目にしか見えない。凛々しい目付きやはっきりとした物言いは、自信溢れる意識の高い高学歴の学生のようだ。多分石留よりもスーツが似合うだろう。いも姫が彼に惚れるのも無理は無い。
 しかし、彼は泥棒である。犯罪者なのだ。そして、今日はこれから彼は「仕事」をしに行くところで、石留はその手伝いに駆り出されているのである。全く、世の中何を信じたらいいのか分からなくなる……、と石留は自分のことを棚に上げて思った。
 ──昨晩、ファミレスを出た後、いも姫は人通りの多い道を歩きながら、
「明日、暇だったりする? 私のカレがさあ、いきなりね……」
 と、いかにも愚痴をするように打ち明けてきた。
 どうやら急に、仕事に人手が必要になったらしい。黒スウェットの泥棒から誰か信頼できるやつはいないか、と訊かれて彼女もちょっと困ったらしいが、幸い目の前に信頼できる人がいた、ということである。どうやら石留は、そのいも姫のカレとやらの仕事について熟知している間柄であり、それを無下に断ることなどできない位置にいるらしかった。石留は二つ返事で引き受けるしかなかった。最早そういう文脈に置かれてしまっていたから、もう逃れるすべはない。状況をいじれるというのは、来週になったら忘れてしまっても構わないような情報だけであって、相手の人間関係によっては面倒な文脈に巻き込まれたりするのだ。
「獲物は?」
 石留はなんとなく喋っていたくて、そう訊ねる。すると泥棒はクスリと笑って、
「獲物だなんて。僕は『これから盗ろうと思っているもの』と言います」
「……これから盗ろうと思ってるものは?」
「金ですよ。現金三百万円の札束」
「思ったより小ぶりだ」
「多くないほうが良いんですよ。特に、その金に後ろめたいところがある場合はね」
 泥棒はハンドルを右に切る。随分古物らしいワゴン車は渋々とその命令に従って交差点を曲がった。
「相手はいわゆるマルチ商法の元締めです。大学教授という地位を持ってるのに、欲の突っ張ったジジイですね」
「三百万なんて中途半端な大金をどうして」
「活動範囲を広げようとしてるんですよ。たぶん」
 しれっとそんなことを言って口笛を吹く。今日の仕事にはあまり関係ないところなのだろう。金があるから盗む。そこに人が歩いているから話しかける、という石留とあんまり変わらない。
 石留は彼に好感は持てたが、仕事はあまり出来ないほうだろうな、と思った。仕事の前日にいきなり人手が足りないなんて、普通ありえないだろう。
「僕がこれからしようとすることは悪なんですかね?」
 一分ほどの沈黙ののち、泥棒が口を開いた。石留は窓の外を眺めながら気もなく答える。
「他人のものはそいつのもの。それを盗むのはまあ悪いことだ」
「その持ち主が悪いことをして手に入れたものであっても?」
「一箇所でも悪いところがあれば、全部悪いことだ。掛け算割り算に紛れ込んだゼロみたいなもんで」
「それじゃあ世界の解は悪ということですか」
「そうならないための法律だろう」
 石留はそう言いながら、泥棒は法律で裁けるだろうが自分は何で裁かれるのだろうと、ふと思った。そう考えると自分は悪人ではない気がしてきた。誰も石留のことを悪人だとは思っていない。姉ですら、そうだ。自分しか悪人であると思っていないのに、どうやって裁くことができるのだろう。
 まあいいや。俺だけでも俺のことを悪人と思っていれば良い。石留はそう思い至って、考えるのをやめた。
 ワゴン車は、潰れてしまったらしい町工場のフェンスの裏側に停まった。石留と泥棒は一緒に車から降りて歩いて行く。黒いスウェットと安物のスーツの取り合わせは、はっきり言って特徴的だった。これから犯罪行為をするというのに、こんな目立つ格好でどうするのだろう。
「まあ、大丈夫ですよ。きっと警察沙汰にはならないですから」
 泥棒は退屈そうに言った。
 数分も歩くと、大きな屋敷に行き当たった。床面積の広そうな家の周りに竹藪を擁する庭が広がり、その敷地を高い土壁がぐるりと取り囲んでいる。一言で言えば、よくある金持ちの家。
 どうやって侵入するつもりなのかと思っていたら、泥棒はつと立ち止まって土壁を蹴っ飛ばし始めた。パンパンパン、と軽い音が響く。
 ひとしきり蹴り終わってから、彼は石留の方を向いて言った。
「こっから入ります。肩車してください」
「ん」
 思った以上に原始的な侵入方法だった。石留は思わず周りを見渡してしまう。そんなことをして侵入したら目立つに決まっている。
「大丈夫です」
 変に自信を見せてくるので、きっとこいつも自分と似たような泥棒になるのに特化した能力か何かを持っているのだろう、と石留は勝手に想像した。実際、辺りに人影は一切無い。犬っ子一匹も居ない。恐らく最初からそういう空間なのだろう。
 肩車をするなんて人生で初めてだった。石留がしゃがむと泥棒は手慣れたように肩に足を載せる。安物のスーツにしてきてよかった、と石留は心の隅で思った。ほとんど重さを感じないその身体を乗せて、石留は立ち上がる。
「ありがとうございました。あとは車で待っててください。あなたの運転で逃げましょう」
 泥棒はそう告げて、さっと綿毛が舞い上がるように土壁の向こう側へと消えていった。石留はぼんやりと泥棒が消えていった空間を見つめていたが、やがて踵を返し、肩を払いながらワゴン車へと戻った。運転席に腰掛けたがエンジンはかけずに、ぼんやりと空を見つめる。人出が足りないと思ったら、こんなエキストラみたいな用向きだった。拍子抜けというか、つまらなさすぎる。昨晩、落ち着かずに晩酌めいたことをした自分が馬鹿みたいだ。
 石留は今の境遇に憤りを覚えながら、欠伸をする。暇だ。誰か通りがかったら話しかけて世間話でもしようか、と思うくらい暇だったが、誰も通りがからなかった。
 車内を見渡してみる。ものすごい古い型のワゴン車なので、ラジオしかついていなかったが、それでも退屈しのぎにはなるだろう。石留はそう思い立って、ハンドル脇のキーを回した。ぷすん、と音がなる。……エンジンがかからない。
 石留は焦って何度もキーを回してみた。うんともすんとも言わない。さっきまで何事も無いように動いていたのに。よくあるハリウッド映画の真似をして、何度かハンドルを殴ってみたり車体を揺らしてみたりしたが、何事も起こらなかった。石留は一息ついて動くのをやめると、しん、と車内が静かになる。
「ポンコツか」
 そう呟いて車外に出た。力いっぱい扉を閉めたところで、黒いスウェットの人影が慌ただしく走ってくるのが見えた。……凄まじく嫌な予感がした。
「警備員が一人追ってくる。早く逃げましょう」
 息を切らした泥棒は、さっきまでの落ち着いた様子を金と引き換えに置いてきたのか、取り乱して言ってきた。石留は、癌患者に癌であることを伝える医者のような心持ちで今しがた知った事実を告げた。
「車、イカれてるぞ。エンジンがかからない」
「なんですって?」
 泥棒は目を真ん丸にした。石留は努めて冷静に、
「どうして整備しておかなかったんだ」
「これ、今日パクってきた車なんですよ。まさか動かなくなるとは……」
 やっぱり、仕事の腕は大して良くなかった。石留は自分の眼が正しかったことを知ったが、全く嬉しくなかった。
「で、警備員ってどういうことだ」
「誰もいないと思ったら、一人残ってたんですよ。全く、僕もヤキが回りましたね」
「泥棒を追っかける警備員なんて、何十年前の漫画の話だ」
 その時、「待てー!」という怒声が聞こえた。その姿は警備員というか、むしろ用心棒のようだった。石留と同じく黒いスーツを着込んで、全速力でこちらへ走ってくる。意外と足が速いので、石留と泥棒は慌ててそこから逃げ出さなければならなかった。
「ここはちょっと、賭けをしませんか?」
 走りながら泥棒が話しかけてきた。もう息を切らしているのに、おしゃべりなやつだ。
「何だ、賭けって」
「これ、あなたの取り分です」
 泥棒は懐から封筒を取り出すと、その中の札束を数え始める。追われている最中だというのに、悠長に百五十まで数えたところで、そこまでの札束を石留に寄越してきた。石留はとりあえずそれを受け取る。
「次の交差点で、お互い別方向へ散って別れましょう。それきり、もう二度と会うことはない。相手は一人ですから、一人は確実に逃げられる。あいつに選ばれてしまった一人は、捕まるか、それか頑張って逃げ切るわけですね。僕らはお互いに、お互いがどうなろうと知ったこっちゃない。どうですか?」
「まあ、いいだろう」
 石留は叫ぶように即答した。何故なら、石留と泥棒がこの先ふた手に別れたら、どう考えたってあの用心棒は泥棒の方を追うだろう。あの用心棒が目撃した実行犯なのだから、普通の人間ならそうするはずだ。
「それじゃあ、今日はご協力ありがとうございました!」
 泥棒は募金をしてくれた通行人へ礼を言うかのように爽やかにそう言うと、交差点を左に曲がっていった。石留はなんにも答えず右に曲がっていく。これでもう、あの泥棒と会うことはないだろう。その感慨は、石留を少し気楽にさせた。これで仕事は終わった。ずいぶんメチャクチャな筋書きだったが、これで百五十万が手に入ったのだから、文句はそんなにない。
 石留はすこしばかり走った後に、振り返ってみた。そこには閑静な住宅街があるばかり──だと思ったら、そうではなかった。
 全力疾走してくる人影が居た。泥棒ではない。用心棒だった。
 なんでだよ! と、石留は突っ込みたかった。おそらく、口にも出していただろうが、とにかく石留は逃走を続行しなければならなかった。
 あの用心棒がどうして石留の方を選んだのか、本当に理解に苦しむのだが事実こちらを追ってきている。なんとか撒かなければいけない。石留は走りながら、不意に小さな曲がり角に入ったり、住宅の庭に侵入してみたり、赤信号をわたってみたり、公園の垣根を突っ切ってみたりしたが、驚異的な脚力を持つ用心棒を振り切ることはできない。アスリートのようだった。
 石留は段々と疲れてきて、もう最高速度を保つことが難しくなってくる。このままだとあいつに捕まることは確定だった。捕まるのだけは勘弁して欲しかった。自分は慎まやかに悪人稼業をしていただけで、誰も自分を裁けないはずなのに、本業とは別のしょうもないところで捕まって、罪に照らされるのは嫌だった。どうにか、あいつを振り切ることはできないか? 単純に逃げるだけではもう無理だ。ではトリックプレイか? あ、UFOだ! と叫んで、そちらに気を取られる人間が、この世界に何人いることか。小道具は何もない。手元にある百五十万円をばらまけば、追いかけて来なくなるだろうか? いや、金の問題ではあるまい。後ろめいた金があったことを知っている人間を放っておくことが問題なのだ。それなら、泥棒のほうを追わなかったのがとても不思議なのだが……。
 気がついたら、用心棒は相当石留へと距離を詰めていた。彼の表情が見えるほど近くにいる。ラストスパートをかけるマラソンランナーのような顔だ。それに対してこちらはくたびれきっている。このままでは捕まる。
 ……だが、やはりこんなところで捕まるわけにはいかない。
 石留は賭けに出ることにした。さっき、泥棒との賭けに負けたあとでまた賭けとは、ちょっと体裁が悪くはあるが、四の五言ってられない。
 石留は咄嗟に、すぐそこにあった角を曲がった。そしてすぐに立ち止まり、振り返る。静かな住宅街に、用心棒の立てる足跡が響いて石留の方へとやってくる。石留はその間に、手に持っていた百五十万円を内ポケットに突っ込んだ。ほどなくして石留の曲がった角に到達し、その身体を石留の方へと猛進させてくる……。
 石留は声をかけた。
「よう、久しぶりだな」
 用心棒は目をまん丸くした。
「な、なんでお前がここに?」
「いや、たまたま通りかかったんだ」
 平然とそう返しながら、石留は死ぬほど安堵した。このアスリート用心棒の文脈に入り込むことに成功したのだ。
 用心棒は凄まじい早口でまくしたてた。
「い、いま教授の家から金を持ってったやつを追っかけてるんだ。お前、見たか?」
「あっちの方に誰かが走っていったが……」
「そいつだ。チンピラを使って、金を盗ませたんだ」
「な、何だって!」
 石留は驚いた顔を作って、内心ではこう叫んでいる。なるほどな! 俺が主犯だと思われたわけだ。あの黒スウェットの泥棒をけしかけた、今回の事件の黒幕だと。あの泥棒はこうなることも考えて、あの賭けを持ちかけたわけか。仕事は出来ないが、算段は立てることができるらしい。
「挟み撃ちにしよう。お前はあっちから回って、向こうの道路に出てくれ」
 用心棒はそれだけ告げると、石留が逃げていった(と思い込んでいる)方向へと走り去った。了解の声を伝える暇も無い。きっと、それだけ意思疎通ができている仲間なのだ。ちなみに石留は彼がやろうとしていることをあまり理解できなかった。。
 石留はそのまま家路についた。車でここまで移動してきたせいで随分距離があるが、仕方がない。全力疾走した分、荒くなった息を宥めるように一歩一歩歩いて行く。
 幹線道路にたどり着くと、そこを基準に脳内に地図を書き、それに沿って歩き出す。知らない土地だが、これくらいのことができなければこの仕事はできない──と思っているが、まあ、単純に石留の得意分野なのである。
 一時間ほど歩いてようやく見知った風景に辿り着いた。石留は、安堵しながら町中を進んでいく。今日は帰ったらすぐに眠ろうと思っていた。こんなに走りこんで歩きこんだのは久しぶりだ。高校生の体育以来だったかも知れない。
「あれ、こんなところで何してんの?」
 そんなところへ、声をかけられた。振り向いてみると、そこにいるのは姉の秀子であった。
「ああ……仕事帰りだよ」
「へえ……まだ昼前なのに、随分疲れてるみたいだけど」
「そういう仕事だったんだ。そっちは?」
「私? 私はこれから仕事」
 昨晩酒を飲んで、そのままさっきまで熟睡していたのだろう。良い身分だ。石留は自分のことを棚に放り上げて、内心苦笑してみせる。
 そうだ、石留は自分の仕事のことを今思い出した。後始末もきちんとしなければならない。
「姉さん、銀行に行く?」
「え? 別に用はないけど……」
 秀子は首を傾げてみせる。石留は周囲に人の目がないことを確認してから、懐から例の一五〇万円を出してそのまま姉のポケットにねじ込んだ。
「これ、今回の仕事の分。口座に入れておいてくれ」
「えっ! な、なにこの大金!」
「任せた」
 それだけ言い残して、石留はまた歩き始めた。いつもなら自分で行くところだが、疲弊し切っていたのでもうそんな気力は起きなかったのだ。姉なら少し無理してでも、頼んだことをやってくれるだろう。石留は一度、大きくくしゃみをした。
 石留は家に入るとすぐにスーツを脱ぎ、シャワーを浴びてからベッドに横になる。
 目を覚ますと、窓の外は真っ暗だった。石留は頭を片手で抑えながら立ち上がる。まだ随分眠かったが、このままもう一度眠ったら、永遠に目覚めないような気がした。
 ソファに座り込んでぼんやりした後に、思い出したように脱ぎ散らかしたスーツを拾った。そして、懐のポケットの中を探る。
「ん?」
 無い。
今日、稼いできた分の百五十万円が無かった。あれだけの厚みと重みがあるものだ、落としたらすぐに気づくはずだ。石留は家の中を歩きまわって、金を探し求めた。むろん、見つからない。何故だろう。もう一度、どしんとソファに座り込んで考える。今朝、仕事を済ませて確かに真っ直ぐここに戻ってきたはずだ──、いや、誰かと会ったような気がする。知り合いの誰かだ。自分に知り合いなんか居たのが驚きだが、確かに会った気がする。
 女だ。俺と同じようにスーツを着込んだ女。
 石留は電撃に打たれたかのように目を見開き、すぐさま立ち上がった。台所へと駆けてゆき、冷蔵庫の中身を覗く。缶ビールが一本、キンキンに冷えていた。
「くそ、やられた……」
 石留はゆらゆらとまたソファに舞い戻ってきた。彼はずっと一人暮らしだったのだ。身寄りなど居ないし、知り合いも居ない。誰かと一瞬にして親しくなれても、二度と再会することはない。誰かと一緒に暮らすことなど、もってのほかだ。
 あの誰かとは今朝の仕事の帰りに、初めて出会ったのだ。でも石留は姉と思い込んで、金を預けてしまった。必死になってようやく手に入れた、金。中途半端な大金。それを、どこの馬の骨とも分からない、どこかの女に……。
「あぁ、くそ。やられた。見事だよ。美人は違うね、やっぱ」
 石留は虚空に向かって呼びかける。
「俺にあんたを怒る権利などない。裁く権利などない。やっぱり俺は悪人なんだ。結局、世の中とどのつまりそういうことなんだ」
「どうしたの、お兄ちゃん」
 不意に声がかけられた。石留はソファに深く腰掛けながら、ゆっくりとその声の方へ顔だけ向ける。
「いや、ちょっと金をスられちゃったんだ。でも、心配はない。俺も誰かからすぐに金をもらってくるからな」
 そう言って、男は立ち上がった。
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  1. 2015/03/25(水) 23:36:26|
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プロフィール

可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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