弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

フリーダム

先日書き上げた小説、余裕で規定枚数を超えたのでその改訂作業をしていたらこんな時間……というわけではなく、単純にオールの飲み会明けが明けただけです。超早起きです。
15万字程度のものを、13万字ちょっとまで減らしました。毎度のことですけど、俺の文章は修飾がくどい上に、今回は文章がそっくりそのまま物語の修飾みたいなところがあったので、そこを減らして、それでもまだ枚数収まらないので、本当にギリギリまで削った……もうコレ以上は減らない……勘弁して……。
こんなに余裕持って直せてるのは初めてだなあ。去年の夏はこの作業を〆切直前でやってたので、本当に死にそうでした。そんでもって、そのまま玉砕。今回はエラく時間が余ってるので一応ギリギリまで詰めようとは思ってるけど、大枠はこんなもんだろう。
そんなわけで、もうアウトプットし尽くして、もう頭が呆然としているので最近はインプットをひたすらしてます。
一応、本はなんでも読むと自負してますけど、本屋に足を運んで買うとなるとやっぱ好きなジャンルに傾倒しますね。主にSFとラノベなんですが。ミステリも好きですけど、どうしても買う気にはなれず、誰かから貸してもらったりしちゃう。
貸してもらうのならジャンルは何でもOK、純文学、ラノベから哲学書まで幅広くカバー、という雑食ぶり。学術書はちょっとハードルが高い……そういう批判的な読み方がどうしてもできなくて、院進を諦めたクチなので、なんとなく忌避感。自分からは絶対に読まないだろうな……。

就活中です。
自己分析って言葉自体にすごい嫌悪感抱くんですけど、それでも割と今日まで自分について深く考えたことがあるっていう人の方が珍しいらしいですね。俺は根が臆病なので、そういうことしないと生きてこれなかったんですけど、慣れてないと「自分ってなに?」という陥穽にハマっちゃうんだなあ、と思ったりしてます。
最近思うようになりましたが、別に「自分ってなに?」じゃないんですよね。その問を発した時点で、自分って、存在しない……し、別に存在する必要がない。無くたって構わない。うーん、なんともSF的な思考。でも俺はこの短い人生で曲がりなりにも自分について内省してきたから、何か考える向きというものがある。
人は自由です。自由だからなんでもしていい、とかいう幼稚な思考はともかくとして、自由だが、人は縛られた方が活き活きとする。とある講義で寄せられたコメントに「出先で靴が壊れたんですけど、ものすごい頭が働いてなんとか被害を少なくできました。人って追い詰められると頭めっちゃ働きますよね」っていうのがあって、それに対する先生のコメントは「頭が働いてるんじゃなくって、そうするしか選択肢がないんです」。そうするしか選択肢がないから、そうする。でも何故か、そこでやりがいを感じてしまう。すると、自由とは? 何かの状況に命令されることでやりがい、生きがいを感じるのであれば、君というのは一体何なんだ?
「自己分析」がしているのは、あくまで表層的なことに過ぎないと思ってて、それはつまり無意識レベルでの自分の解析なんだと思ってる。表層的なのに無意識ってどういうこっちゃ、って感じだけど、単純に言って自分の傾向ですよね。自分はこういう命令に抵抗を覚える、つまらないと感じる。逆に、こういう命令に喜びを感じる、義務感を覚える。リク○ビとかの性格診断とかって、こういうのを求めようとしている。俺に言わせればそんなの自己分析でも何でもない。だって、それで見えてくるのは自分じゃないし、それって別にいまさらやることじゃなくね? っていうか、そういうのを知らずによく生きてこれたね? っていう感想を抱いてしまう。
人は自由である、っていうのはまあ、ニーチェ的な宇宙規模の思索での大大大前提なわけですから、俺が言いたいところの自分というのは、言葉を借りるとすれば「自由な自分」です。
これを語る上でまず打ち出さなくてはいけないのは、とってもシンプルな対立項、自由vs命令。命令に無意識の傾向というのが代入されるとしたら、その逆が意識ですよね。意識vs無意識。
で、フロイト先生が言ってる無意識の簡単な図式、高校の倫理の教科書に載ってるようなこと、巨大な無意識の上に、ちょこんと意識が海面に顔を出している氷山、を思い出して頂きたいのですが、無意識を大前提に意識はある、ということ。意識を変えるには、無意識を変えるしか無い。そういう意味では、一般的な『自己分析』はとっても根底的なところにあるといっていい。逆に言えば、そこからしか始まることが出来ない。「私は変わりたい!」という意識を持つ限り、逆説的ですけど、絶対に変わりません。
誤解してほしくないのは、この意識というのが自分なのではないということ。言いたいのは、命令に服従する無意識へ、更新を要請するのが自分だということです。実在存在と抽象存在の向こう側。そこに自分はいる。
めっちゃ難しく聞こえるかも知れませんが、呑み込めてしまえばそんな難しいことではないと思います。命令に対する命令です。毒をもって毒を制す。その毒についての分析が、自己分析。そして、これは一朝一夕でなるものではない。というか、絶対に分からない。アキレスと亀的な。そんでもって、カント的な理念である。辿りつけないのは分かっていても、歩き続けなければいけない。その動的な歩き方そのものが、「生きる」ということになる。
だから、とても見ててイライラするのは、自分の依拠できる観念を見つけて、それを結論にしてしまってる手合い。それが俗にいう「意識高い系」界隈の人間。それで全てを悟ったような顔をして何かを語っている。周りを巻き込もうとしている。あのね、って思う。あんた今、靴が壊れて喜んでいるようなもんだよ、って言いたい。無限に命令の牢獄で遊んでればいい、と思う。
最近、伊藤計劃の虐殺器官を再読しました。本当に名作だから教科書に載せて欲しい。
その中で、頻繁に言われていること。人はある自由と引き換えに何かを得ている。それで回っている世界に「自分」は必要ない。だから、『ハーモニー』で描かれる終焉へと導かれる。神林長平はハーモニーでの意識観について批判していたけど、やっぱり意識と知覚という対立項で躓いていた。でもその主張は同意できる。大いに賛同する。何より必要なのは、その終焉を乗り越えること。でも、それは『ハーモニー』を読む誰しもが思うことであって、神林長平はその先陣を切ったにすぎない(それか、一番声高に言ったか)。
伊藤計劃の三長編の映像化予告ムービーのラストで、『僕達は、彼が計劃した世界を生きる』と冷徹に告げている。俺はそのとおりだと思います。彼の作品そのままの世界が実現するわけではない……が、だがそのプロジェクトは平気なツラをして進行している。『自己分析』が自分に到達しないことがその一例。
だからこそ、その先にいかなければいけない。「命令に応えられる僕」ではない、その先へ。「自由な自分」によって紡がれる、自由の物語。あくせくして生きる、その向こう側に。
「文学を読むことは自分という存在のチューニング」である、と友だちが言っていた。受け売りなのかも知れないが、ある程度同意できる。でも、チューニングだと、いつだってどこかの基準に戻らなければならないではないか。それは時代の発する命令であっても問題無いことになる。それだと問題がある。
だから、俺なりに言うと、「テクストを読むことは自分という存在を破壊することである」になる。今のところ。……さっきから「自分」という言葉の使い方があっちいったりこっちいったりしてメチャクチャですね。行き当たりばったりで書いてるので……ごめんなさい。ええと、ここでいう自分というのは、「意識vs無意識」という構図そのものです。こんなの注釈いれないとわかるわけ無いな。今度から気をつけます……。
で、更に言うと、理想的なのはテクストを読むことで、自分という存在を破壊する……それに付け加え、どこを破壊するのかを選択することが出来る、というもの。これは今思いつきで書いたのでよくわかりません。なんというか、虫歯治療みたいですね。理想に過ぎるかな。
まぁ、ここまでたどってきて、ようやく自分というものの片鱗がぼんやりとわかる……みたいな感じです。
「CRUSH」「MIX」「BURN!!」
その絶え間ない流動のうちに、自分を見つけることが出来る。
自分を見つけないとどうなるか? 
3.11で世に溢れた数々の言説の担い手になってしまう。カルトやオカルトに手を貸してしまうことになる。人を殺してしまうことが可能になる。
大袈裟に思われるかもしれないが、大袈裟なら大袈裟で結構です。が、ここまで理解してようやく「他人の意思を尊重し自分の意思を信じる」ことができるようになる。表層的な自己分析に甘んじながら、この偉大な名言を口にしないように。消費しないように。

伊藤計劃氏の亡くなった月、そして数多の生命の失われた3.11の月の末ということで、ちょっと熱くなってしまったことをご勘弁下さい。
スポンサーサイト
  1. 2015/03/30(月) 08:04:45|
  2. 尋常の日記・雑記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<拠点 | ホーム | 悪人笑気説>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://ka24to.blog19.fc2.com/tb.php/1487-11b4b427
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

twitter

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。