弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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愉楽との追いかけっこ

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即興小説を毎日一編、およそ一ヶ月半くらい書いてましたが、一区切りつけました。
やろうと思えば無限にできるんですが、これをやっていた理由が某社の筆記試験対策だったので、それを越してしまったらもうやる必要がなくなってしまって、とりあえず就活終わるまで寝かせておこうと思った次第でございます。
一本2000字くらいの掌編とはいえ、35編ともなると大変な物量なので、個人的に気に入っているものをピックアップします。

第14部分「前置き倉庫」
時間がなくて15分で書きましたが、「即興小説トレーニング」というサイトで書いていることを知らないと、意味の分からない掌編。テクストボックスがあって、その上にタイマー、下に「完成!」ボタンがあるんです。まあ、それだけなんですが。
こういうナンセンスなユーモアは円城塔さんに倣ったつもりです。恐れ多くてそんなこと言えませんが。言っちゃってるけど。

第4部分「スマホならびにガム」
制限時間二時間で、一番長い。大体16,17枚くらいの文量で時間も余ってたんですけど、当時はそれ以上書けなくなって投了。
ずっと思っていた憤悶みたいなものを、茶目っ気全開に皮肉った作品です。個人的な位置づけとしては。
裸で大地に降り立つ、というと坂口安吾の「続堕落論」ですけど、実のところ、これを書いた後に読みました。

第13部分「借りてきたタヌキ」
よくわからないけど、何も生産しなかったという点で言えば、ぶっちぎりで娯楽性に富んでいるものではないかと。
ひとつひとつの掌編で、自分の持ち合わせている武器を確認しているのですが、これについては何も得られなかったという。
しかしながら、白い頬を朱に染めれば、ある程度の「かわいさ」を演出できるということはわかりました。

第16部分「靴というリーダーシップ」
まるきり安部公房の「鞄」なんですけど、リミックスみたいなノリで(そんなことしていいのカナ、と思わんでもない)書きました。
ラーメンズのコント「プーチンとマーチン」がなんとなく頭の隅っこにあって(コピーしていつか演れる機会があったらな、とか勝手に思ってるんですが)それが無ければ、あんなオチにはならなかったハズ。

第9部分「或いは、僕もまた」
先日投稿した、「ホット・バズ」という短編の、ご先祖様みたいな位置づけのもの。
今、実際に生きているのは本当に確率論でしかないんだ、という死ぬほど当たり前のことを、当たり前のように表現したものなので、そういう意味ではとってもつまらないんですけど、忘れがちな大切なことは何度でも繰り返す必要があるので。

第11部分「遠い次元の遥かから」
まどマギにおける次元の捉え方についての評論を読み、自分流にループものを作るとしたらこうなるな、と思って書きました。
本当に自分が書いたとは思えないくらい、シャキっとまとまった一本です。1990年代にこれを発表したら、一発でデビュー出来でたんじゃないかと思えるくらい……。

第20部分「天使の微笑む星」
ボランティア至上主義に対する冷ややかな視線……なんてものは、読めばすぐわかるので言うまでもないですが。
そういう人を宇宙人と思え、なんていう安易な教訓を読み取ってほしくないな、と後悔したものです。まあ、そんな熱心に読んでくれる人がいるとは微塵にも思ってないので、頭のなかだけの出来事なんですが……。

第35部分「Because of My Eyes」
一言で言って、気持ち悪い作品。
僕が書く長編作品に於いて、キャラの心情があまり伝わってこないとか批評が来るんですが、それは当たり前の話で、そんなものはもともと眼中になく表現する気か皆無なのです(それなのに心情がトリガーとなるプロットを作るので、駄作が積み上がっていく)。
では何を書いているか? わかんないです。
こういう難解に見えるよくわからないものが格好良いと思ってる中二病かよ、とか思ってもらって一向に構わないと思ってるし、そう思ってくれたほうがこちらも対処がしやすいのですが、もちろんこんなもの格好良いわけがなくて、むしろ気持ち悪さの塊でしか無い。今日、僕の尊敬する作家の先生が、書くという行為が頭のなかにあるものをそのままプリントアウトするように書きだすだけのものであるならば、「書く」必要性などどこにもない、と喝破しておられて、まさにその通りなわけです。吐出されたヘドロのような文章の中から、自分の中にあるはずのない意味不明さをつまみ出す作業にほかならない。その作業と、即興小説の相性は非常に良かった。だから、一ヶ月も持続したわけですね。
無論、こんなものは積み木遊びのようなもので、限られた時間、素材で積み上げていかなければならないものであって、僕の場合は全く以て机上のお遊びに過ぎない。それこそ、偉大なる先代の人達の創造物には遠く及ばない。だから、手持ちの武器を確認する作業、そしてまあ、それを操るための鍛錬。つまるところ、そういうわけでした。ちゃんちゃん。

昨日久々に友達に出会って飲んだんですが、「お前謙虚過ぎだよ、学指揮やってたとかマジ最強なのにさー」って言われて、個人的にはまっったく謙虚であったつもりはなく、逆に威張りすぎかな、と思ってたきらいもあったので、少し驚きました。
といっても、偉大なる先人たちの成してきたことを目にしてしまうと、自分のあまりの小ささに、なにも豪語することができなくなってしまうのです。小澤征爾と自分を比べるなんて、その前提からして失礼に過ぎることだし。
面接官にはもっと自己分析をしろと言われたけど、僕はこれ以上自己分析をしたところでな~~~んにも出てこないと思う。それよりも、そういう外からの意見が必要なんだ。「人を見たら盗人と思え」精神で生きているんで、初対面だとむちゃくちゃ仲良くなれなさそうな感じなのに、意外と話してみると親しみやすい人間らしく、その外殻の内にある内面を、ストレートに出せればいいというわけなんだけれども、そんなものがあるか?と思わずにいられない。人は変われない、なんて嘘八百な話で、内面なんて無限に変化しうる。虫一匹殺せなかったうちの息子が戦争に行って人を殺しまくっている、なんてフィクションでもなんでもない、たかだか七十年前までこの国で起こっていたことなんだから、内面を見たってしょうがない。それよか、能力を見せようと思ったけれども、そんなものは図示できないわけですよね。トーイックなんて不誠実なものは受けたくなかったからほっといたけど、やっぱり数字を求められるとこちらも立場が弱い。僕の武器は結局のところ、意気込みと(今までのところ)折れない心しか残らなかったんですよね……。
つまるところ、そういうところが僕の短所なわけ。で、僕の長所なんて自分からは見えないわけ。大体に於いて、長所の把握なんて「傾向」にしか過ぎないわけで、それは「俺Sなんだよね」とか言いながら嗜虐的な行為に及ぶアホ男が巷に溢れてることを考えるとわかりますね。
だからまあ、謙虚過ぎると言われたことはとても嬉しかったし(別に自分の能力がおもったよりあることが分かったから、とかいう意味においてではなく)、こういうのが「批評」だと思う。だって、僕は自分が謙虚だなんて一片も思ってなかったから。
就活という営為は何も楽しくないし、楽しいとか言ってる人は今までどんな生活をしてきたんだ、と思ってしまうし、経団連という団体も意味不明すぎて、若者の未来を何だと思ってるんだかさっぱりわからんし、頭悪い人にぶつかるとそれだけでしんどい思いをする、大変な行事です。
ただしかし、一人の人間としてようやく活動できる、という光を見ることに関しては、愉楽ですね。夢を見させてくれる。もちろん、愉楽は何も生み出さないということを忘れない限り。
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  1. 2015/06/05(金) 23:36:15|
  2. 尋常の日記・雑記
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可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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