弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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善悪の彼岸

 ニーチェの『善悪の彼岸』を今年の夏にでも読もうと思っているんですが、漠然と夏に読みたいと考えている本を並べていくと一生かかっても読めないような分量になるんじゃないかと思います。
 日本を「恥の文化」とか呼ぶこともありますが、恥というよりも強いのは劣等感なんじゃないかなあ。僕の周りには、異常なまでに周囲からはみでることを恐れる人が結構居るけど、こういう人たちは劣等感を持たないように過ごす術を実行しているんだ、と。恥をかいたときに僕らは曖昧な笑みを浮かべるけれど、これが何かしらの支配に対する媚びへつらい、劣等感を隠そうとする心理の働きだとしたら、こういう時に感じているのは恥じゃないんです。本当に恥ずかしいなら笑いませんからね。英単語だとこの二つが分けられていたような気がするが、不勉強なために覚えていない。

 クリストファー・ノーラン「ダークナイト」を観ました。バットマン。今更。最近、何を見ても今更感が尋常じゃないですが、多分一生この「今更」という感慨はつきまとうんだろうと思います。例によってネタバレしまくりますが、この作品もネタバレなんかで全く色褪せる作品ではないので構わないでしょう。もちろん嫌な人は読まないことをオススメします。
 バットマンなんてさっぱり知らなくて、というかそもそもアメコミヒーローに興味がなかったんですけど、金曜ロードショーで「アベンジャーズ」を観てノリが掴めたので、この際観てみようかと思って昨日酔っ払ったままツタヤで借りてきた。ノーラン監督のバットマンシリーズ三部作の二作目とかいうので、二作目だけピンポイントで観るのはどうかと思ったけど、全然平気だった。でもまあ、ある程度バットマンというキャラについて知っておく必要はある。
 まず、なんて闇が格好いい映画なんだ、と思った。取調室の闇にぽっかりと浮かぶジョーカーの白塗りの顔。トゥーフェイスの醜悪な部分を覆う闇。そして、バットマンの眼と口を露出させる夜の闇。ダークナイトと言っているだけに、黒が本当に格好がいい。それに比べれば僕らの認識する「この世の闇」なんぞは、本当に暗いだけの場所にすぎない。あんなド派手な黒を目の前にしたら、あらゆる陳腐な闇なんて電気を消されたトイレみたいなものだ。この映画に漂う黒は……何なんだろう。分からない。見えるか? この闇が。そんなシンプルな問いなんだろうかなあ。
 伊藤計劃が”世界精神型の悪役”と、ジョーカーを評して言っていた。世界精神型というのはざっくり言って、「お前ら見てみろ、これが『悪』って奴だ」というものを見せつけてくる悪役。僕らは映像を観ることでしか映画を鑑賞できないが、文字通りの意味で僕らに悪というものを見せつけてくる、映画のための悪役だ。実にジョーカーは小市民に向かってどういうものが悪かというものを、懇切丁寧に教えていく教師だった。市民を人質に、バットマンの素顔を要求するジョーカー、それに応じないバットマン、そのことを批難する市民たち。市民のために戦っていたヒーローが、たちまち悪者に早変わりだ。この場合、僕らは何を悪と見れば良いのか。一般的に善良な市民の皆様は、もちろん悪の根源のジョーカーだと言うんだろうが、この映画はそういう意見すら飲み込んで吸収してしまうだろう。悪は連鎖していく、などという後付の説明をも求めていない。
 僕らは思ったよりも、見たくないものを見ていない。見たくないものを見なければいけなくなった時でさえ、自分の意思をできるだけ遠ざけようとする。自分が、責任を被りたくないから。そうしないと、僕らは生きていけないから。優秀な地方検事のハービーは、爆弾による業火によって顔(というか身体全体)の半分が焼けただれる怪我を負う。耳にまぶたはないから聞きたくないことを聞いてしまうが、目は閉じることが出来るから見たくないものは見ないで済む。でも、ハービーは左の目の瞼を(というか目の周囲の肉もろとも)失っているために、彼の眼球は常に見たくないものを見続ける、そしてそこに「トゥーフェイス」という怪物の誕生をみる。そんな閉じることのできない眼球の前に、ジョーカーは悪をチラつかせるのである。するとどうだろう、彼はその一身を復讐へと駆り立てていく。とにかく、その悪意を発散させなくては気がすまぬようになる。
 正義感に溢れるヒーロー検事であった彼が、悪に染まる。ジョーカーはその事実を市民へと突きつけようとする。
 どうだ、これが人間だ!
 ジョーカーは札束の山を燃やす。そこには正義と対立するような悪でなく、むごたらしい現実をまざまざと突きつけるような、いや、我々を外へと突き放すような「何か」がそこに存在する。そこに物語なんて存在しない。ゆえに悪の教師たるジョーカーは、聴衆に分かりやすいように物語を聞かせてくれるんだ。己の顔についた傷の由来。父親による母親の殺害の話。そうして私は出来上がったのだよ。私というむごたらしい存在がね、とでも言いたげに。
 だから何だっていうんだ? そういうことが分かって安心するのかい、君らは?
 そんな毒々しいニュアンスをも感じる。目の前にいる人間が、自分とは決定的に違う、何から何まで違う物質で構成された非日常的な存在であると認識して、自分をそういう悪意から隔離しておける、その安易に安堵へと逃げ込みたい気持ちを誘発して、そこに恐怖を上乗せするのだ。実はそんなものは非日常でもなんでもないんだぞ、と。
 テレビ出演する弁護士を殺さないと市内の病院を爆破するとジョーカーが脅迫すると、テレビ局に大勢の人が詰めかけた。弁護士を殺せと抗議する人間、弁護士を殺そうと発砲する人間、弁護士を殺そうと車で突撃する人間。
 では、そういう人間と、ジョーカーの違いは何なんだろう。
 瞼があるか、ないかの違いなんじゃないか。目を瞑っていると、こうなるのだ。ジョーカーは人々から瞼を剥ぎとっている。見たくないものを、まざまざと見せつけてくる。どうだね、これが悪だよ。悪意だよ。ちっぽけな欲望に見切りをつけた、彼岸からやってきた悪なんだよ。と。
 ……。
 映画のラスト、爆弾満載で浮かぶ二つのフェリー。
 人々は沈黙をする。沈黙の中で、自らの悪と、一人ひとりが戦っていた。ただ、黙って。震えながら。
 バットマンはそこに現れる。そして……後押しをして、立ち去る。ジョーカーが悪の大海へとトゥーフェイスの背中を押したのと同じように。
 警察に追われる彼の背中へ、ゴードンが告げる。「彼は街に必要な人だ。ただし今は”時”が違う」。

 何故かニーチェに関して言うと、「善の彼岸」についてしか語られない……らしい。
 僕のチープな読解力と表現力で申し訳ないが、善というものは究極的には人間の「快」を根拠にした不文律である……みたいなことをニーチェは言っている。つまり、実は僕達が善と思っているものは、本当に善なのかよく分からんんのです。だって、人間の「快」自体に根拠なんて存在しないんだし、そういうものの基準は完全に個人個人に依存しているわけだ。
 だから、善なんて存在しないんだぜ、ということは俺が善だ、ヒャッハーーー! ……ということにはならない。
 悪にも彼岸があるから。
 同じように、悪に根拠が無いし、善にも根拠が無いし。そんな無秩序に僕たちは住んでいるんだ。
 目を瞑っている。しかし、口だけは雄弁に動く。耳は、その雄弁を聞く。そういう人にジョーカーの声は、はっきり鮮明にまざまざと飛び込んでくるものだ。
 そういう「虐殺の文法」に対して僕らはどうするべきなのか。
 いつ沈むとも知れない船の上、息を潜めて沈黙を守り、時計の針を見つめること。
 それがたったひとつの、僕らがジョーカーに対抗できる手段なんだ、と闇の海に浮かぶ二隻のフェリーを見て思いました。なんだか大江健三郎「不意の唖」を思い出すなあ。というか、構造はまるきり同じなのでは。

 良い映画だったなあ。そのうちまた見ます。
 ところで近況ですが、出版業界全滅しました。倍率が変態だからしょうがないです。
 そういうわけで、変わらずに別の方面からのアプローチを続けていきます。今までと何にも変わらず。
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  1. 2015/06/29(月) 22:08:38|
  2. 尋常の日記・雑記
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プロフィール

可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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