弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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散文を 集めてみたよ 最上川

・エンタメについて
 エンタメにおける、創造者に対するマスの矯正力。集合的無意識という概念を、伊藤計劃と円城塔のタッグが撃破しているのにあとから気付き、改めてバケモノさ加減を知って慄く慄く。この集合的な意思の総体というものは、意識でも無意識でもない、と思うんだが、やはりひとつの意識が働いていることは間違いない。そういう意味では、マスにおける集合的ナントカというのは、エンタメにとって、戯れるべき庭の魚であり、餌を撒いた時に、喰い付いてバタバタするか、それとも知らんぷりされるか、グチグチいいながら食っているか、その反応に伴った水面の動きのようなものである。その魚が口をきく、程度の話なのだ。興味が無いのであれば、さっさと立ち去れば良いし、それでも尚地上に居るものに思いを馳せるのであれば、それは地上のものに支配されているのも同然のことであり、そのことに文句を垂れたり愚痴をいったりするのも地上にとっては予測の範囲内、果ては直接攻撃に移るなど、水から飛び出して地上から見下ろしているものに、体当たりをかます程度のものに過ぎない。期待に応える、などというけれど、実はマスの方が期待するように調教され、いかに調教したのかを忘れない限り提供側は無限に期待に応えることができる。なまじい、自らの表現を求めたら、マスからしっぺ返しを食らう。地上としては別に痛くも痒くもないが、疲れた体にそのノイズは煩わしすぎるのである。
 そういうわけで、エンタメはマスを洗脳しているかのように見えて、マスに支配されている。そのことはまあ、別に悪くはない。場合によっては綺麗に、場合によっては醜悪に見えるだけのことで。

・親切という両刃の劔
 僕は「親切」というものが本当に怖くて、あれは場合によっては暴力とさして変わらないんじゃないかと思ってる。不親切にしろ、親切にしろ、どちらも意識に表立って出てくるべきものではない。親切をしてあげよう、という心持ちが少しでもあれば、それは親切という皮を被った暴力になる。
 例えば昔の話だが、僕は不精なので靴紐がほどけても放っておいておくことが多い。立ち止まるのが面倒くさいから、電車待ちとか信号待ちの時とか、否応なく立ち止まる機会を待って、紐をぷらぷらと遊ばせておく。すると、親切なおばあちゃんから声をかけられる。「ねえ、靴紐解けてるわよ」。僕が「はい、知ってます」と答えたら、「ええ、何それ」と心外そうに言われた。いや、知らんがな。「あ、ありがとうござます、気づきませんでした」と言ってニコッと笑うのを想像したのだろうか。知らんがな、という感じだ。
 ウルトラ当たり前の話だけど、親切は良いことであるし、こういう時にはやっぱり「ありがとうございます」とにっこり笑う方が絶対に良いことは当たり前である。ただ、この「当たり前」に潜む暴力性には、気をつけなくてはいけない。大体において、考えなしに親切が良いものだ、と思い込んで親切を実行する人は、相手にそれなりの報酬を無意識に要求している。例えば、笑顔であるとか、感謝の言葉であるとか、だ。そういうものを受け取れないと、理不尽さを感じて怒ったりする。助けてやったのに、何だその言い草は、というふうにムッとする。しかしながら、被親切側にとっては、そういう親切は青天の霹靂なのであって、それ自体が既に理不尽な来襲なのである。それが、自分の本当にしてほしかった行為とかけ離れていた場合でも、その親切に何かしら報いなければならないというような強迫観念に襲われる。その理不尽さに対して、つっけんどんな態度を取る場合もある。東日本大震災の折、ボランティアでやってきた人たちを白眼視する人々が居たということからして、親切というのはいずれにせよある種の暴力性を免れない。
 とはいえ、「やらぬ善よりする偽善」というのは間違いがない。僕だってできる範囲のことは、当たり前だがやる。これは全て親切をする側の心構えなのであって、坂口安吾の言葉を借りれば「オオカミに食われるくらいの気概でやれ」という話だ。海外では観光客相手に親切心を逆手に取ったスリとか窃盗の手口があるし、フィリピンなんかで貧しい子どもたちが可愛そうだからって施しをしたりすると「養い手」がすごい怒ってくるらしい。そんでもって、アフリカで大虐殺で起きたのは先進国の善意によって、子どもの生存率が格段に上がって、人口が爆発的に増えたことによる貧困が切欠である。
 たったそれだけのことで、人間は怖い、親切するのをやめよう、とか思うくらいなら、最初からするなよ、としか思わない。持ち金を全部奪われても、酷いしっぺ返しを食らったとしても、戦争が起こったとしても、また誰かに手を差し伸べるくらいのことをする。その強さや思慮がない者の親切や善、「あなたのためを思って」とかいう言葉は全て、もれなく、余すこと無くオナニーに過ぎない。

・近況
 近所の野良猫がぎゃーぎゃー騒いでいる。うちの近所に棲息する猫達はだいたいブサイクだ。それでも生きている。ちなみに、最近かわいい子を発見した。
 ぼやっとしていたら7月の5日になっていた。昨日の記憶が無い。一週間で唯一登録している講義が今日あったけど、休講になってしまったので一日暇だった。おおよそ就活生とは思えない。ちなみに、7月はメガ暇です。6月に選考をやっちゃう不真面目な企業には全て落ちて、8月に選考をやる真面目な企業だけが残っているので、必然的に間の7月が暇です。お陰様で卒論に集中できますが、あらましの提出が〆切が9日なので大した恩恵がないという、呆れるほどの意味の無さ。就活失敗したら、雑誌に寄稿しまくろうかなあ、とか思ってしまうレベル。
 高3の頃からアウトラインプロセッサで文章書いてるんですが、最近はとにかく思うところがあったらすぐにノードを作って書く、ということをしているので、ちょっとした文章がコロコロ転がっている。今日はそこから、2つ選別して載せるということをやってみました。公開するつもりがない文章だったから、ちょっと文章がカタめで、しかも攻撃的。何で載せたんだ、と訊かれたら、なんとなくと言わざるをえない。
 伊藤計劃『ハーモニー』を再読しているが、キアンがもう完全に百合だ、この子。映画が楽しみである。百合といえば『ゆるゆり』の新装版が続々と出ていて、最早音ゲーを節制して買わなければいけない始末で、今後の財政のやりくりが重要視される。そういうわけなので、百合ものの短編を書こうと思ったんだけど、さっっぱり何を書けばいいのかわからないので放置。それよりも、次に投稿する長編に着手しようと思い立ったが吉日、ネタ帳を広げたらプロジェクトの立ち上げが5月10日という。もうすぐ二ヶ月経つ。ううむ、プロットもできてないのに。ちなみに、先週投稿した『Expanded Corpse』はプロット及び歌詞を作ったのが2月、曲が完成したのが4月、一ヶ月放置してから絵をお願いして、上がったのが6月、そして投稿が7月という、地味~に息の長いプロジェクトだった。この位の長さがあって、ようやく一作品仕上げた、という実感がある。実感の後に来るのは虚無感である。お陰様で、百合短編が書けなかった。ああ。まあ、いずれ書きます。
 次に書くお話は、なるべく長編にしないようにします。多くても250枚位に収めたい。相変わらずのボーイ・ミーツ・ガール。ボーイは何故ガールにミーツするのか。この謎は相変わらずグルグル回っている。前作は「生死」とかいうクソ重いテーマを扱ったせいで死ぬほど苦労したので、次は恋愛をテーマに、のんべんだらりとやります。
 で、これで失敗したら僕はもう物語るセンスが無いということを悟って、もっと別の方向から何かしようと思います。何がでるかな。
 とか、なんとなくフラグめいたことを言ってしまった。何フラグかなあ……。
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  1. 2015/07/05(日) 00:51:53|
  2. 尋常の日記・雑記
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可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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