弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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With love, from You

「物語だらけね、街は。人間を支えてくれるイメージや物語でいっぱい。みんな、物語を信用できなくなって、苦しくなーれ」

 長谷敏司『あなたのための物語』。
 内容は余命を宣告されたサマンサ・ウォーカーが、死にそうになりながら人工人格(もっとちゃんとした原理があるけど割愛)である《wanna be》と対話するだけの話。ネタバレですが、サマンサ・ウォーカーは死にます。最初の数ページでそう言ってますけど。
 病というメタファーは、この国において結核から始まり、今では癌となっている。癌、という不死の病のメタファー。過去に於いて、結核が治療可能になった途端に、結核が不死の病のメタファーとしては駆逐されたように、癌という猛威も治療が可能になれば、我々は癌を暗喩として使わなくなるだろう。
 けれども、不死の病という表象は消えないで残り続ける。『あなたのための物語』に於いて、不死の病という役割を負ったのは「自己免疫疾患」だった。人はいつまでも物語に、タイムリミットを背負わせ続けるんだろう。だって小説は、終わらなくてはいけないから。けれども、基本的に「書かれたもの」って永遠性を求めるでしょう。いつまでも残るでしょう。三大宗教の聖典がいつ書かれたものかを考えたら、そしてこれからも残り読まれ続けることを考えたら。でも小説は、必ず終わることによって、必ず失敗しなくてはいけない。
 我々だってそうだ。我々というテキストは、いつか死という終わりを迎え、生きることに失敗する。これほどの物語を綴った後に、サマンサ・ウォーカーは動物のように尊厳なく死ぬ。物語として。我々はそれを目撃しなくてはならない。
 人工人格である《wanna be》は、物語が物語足りうる理由を「言語を奪う」ものだからだ、と言う。サマンサ一人の言語を奪うために、私はあらゆる手段を用いることができる、と。
 それは本当に物語的だ。ストーリー、筋道、プロット、伏線、波瀾万丈、手に汗握る、そんなものはここに存在しない。存在する必要もない。ただ静謐のうちに「あなた」へと肉薄する、「物語」。共感を求め、感情移入を強要し、共通感覚の刷り込みを行う、街に溢れる「感動的」な物語ではない、「あなたのための物語」。
 ありえないくらい退屈で、つまらない、「恋」の話。
 我々は素通りし続ける。そういう、退屈で、つまらない、物語を。
 我々は、そこに狂気を見るかもしれないから。極度に突き放された、この世のものとは思えない何かを見るかもしれない。自分の身体を巡る大いなる違和感に苛まれるかもしれない。
 ……けれども、根本的に、誰かのために書かれた物語など存在しない。
 それは、「フィクション」である。テキストによって編集された「わたし」という「フィクション」。フィクションのためのフィクションは、果たして「わたし」の身体の代替となるべきか。
 サマンサ・ウォーカーは提案する、「わたし」と「あなた」を同居させよう、と。けれども《wanna be》は拒絶する。「わたしは死のうと思います」。身体を持たぬ《wanna be》にとって、自らの消失はフィクションの消失と変わらない。自らのテキストを閉じることによって、物語として誕生し、フィクションとして消失する。そこに宿る永遠性は、人間のものよりもより純粋だった。
 そして、このことは「言語を奪う」ための物語という装置を、一般的な解釈に押し留めるのを拒絶している。つまり、我々の言語を奪うのは、「死」という惨たらしい現実によってのみである、という絶望的なる語りにおいて。我々を生から引き剥がすように、じりじりと、或いは一息に言語を剥奪するのは、「終わり」のリアリティにおいて他ならない。何故なら、物語とは必ず終わるものであるから。「フィクション」とは必ず終わるものであるから。メタ物語的な物語のみが、「フィクション」を脅かす。わたしというフィクションを。

 というわけで『あなたのための物語』を下敷きに適当に書いていこうと思ったら、こんなものになってしまった。支離滅裂にも程があるから、一応まともなことを言っておこう。
 ITPという技術は、脳の擬似神経として機能し、他人の人格を自らに投影することができる。そういうわけなので、自分の人格を自分で再生することによって、自らの人格をも機械でアウトソーシングできたりする。だから、身体的な苦痛を「わたし」自身が受ける必要がなくなるのだ。
 これって伊藤計劃『ハーモニー』と繋がるところがある。明らかに。
 そして思ったことは「サイバーパンクでは伊藤計劃の『ハーモニー』を倒すことができない」ということだ。倒すことがあり得るとしたら、それは文学によってだけだ。
 脇腹が痛くなってきた。
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  1. 2015/08/05(水) 23:02:41|
  2. 尋常の日記・雑記
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可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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