弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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狂気を笑い飛ばす狂気を

 先日『サイコパス2』を見終えて、ずっと頭の中で放置してたんですけど、ようやく最近になって書く気が起きたので書こうと思います。一応、物語の中枢部分について言及するので注意。

 シビュラシステムが法の番人として存在する社会。普通に考えて免罪体質が存在するとか、欠陥品にも程が有るけど、人間の手によるシステムである以上、必ず「例外」は伴ってくる。まぁ、そうでなければサイバーパンクとしてSFが機能しないので、そういう要請が出てきます。
 1期が「天然」の免罪体質、2期は「人工」の免罪体質。圧倒的に制御された社会の中で「天然」もクソも無いと思いますが、レトリックとしての天然と捉えてもらえたら良いですね。いずれにせよ、「シビュラ」という社会(法)に認知されない存在というわけであって、しかもそれが犯罪と結びついている。その前提からして、社会の構成員として認められているはずである我々にとっては、是非ともそうであってほしい設定ですよね、これ。社会からはみ出た者を、なんとなく絶対の罪人として見たがる我々の心理としては。
 ベンサムの「パノプティコン」がモチーフとして幾度か登場する。劇中で使われているのは、「健常な市民」と対置する「犯罪者」を発見するための監視機構ということでですね。実はもともとベンサムの発案したこの監獄って、「最大多数の最大幸福」からはみ出たマイノリティを閉じ込めるための施設だったんですよね。つまり、犯罪者、倒錯者という社会のはみ出し者。ベンサムは社会というものの構造上、必ずそういう連中は出てくるのは仕方ないので、隔離してしまおう、できるだけ効率よく、経済的に、コスパ良く、っていう理念のもとに、この一望監視システムを考案した。その歴史を分析したのがミシェル・フーコー『監獄の誕生』というわけだけれど、サイコパスによる「執行」の禍々しさって実は全くパノプティコン的ではない(というか、サイコパスの数値が人の話を聞くだけであっさりと変わるとか、シビュラってあまりにも恣意的に過ぎないか。まあ、その「装置」からして明らかな恣意の介在を感じさせるデザインではあるんだけども)18世紀末から、ヨーロッパでは処罰の方法は、徹底的にコード化されていき、「こういう犯罪にはこういう刑罰を」という対応が出来上がってくる。それまでは、あまりにも司法の恣意や権力の偏りによって、祭りのようなえげつない死刑(四肢を縛って四頭の馬で引っ張り身体を引き裂く刑とか)とかそれに伴う事件とかがあったりしたから、人権に悖るじゃないか、ということでどうにかしようと改革者達は思った。そして、「反人間的な人間を矯正していく」ような処罰の制度が整えられていくことになる。しかしながらシビュラ下の社会では、犯罪と処罰との関係性があまりにも直結しており、場合によっては即興で処理される。犯罪者達は、その場で自身の叩き出す犯罪値によって、その場で場当たり的に処刑されたりする。逮捕して、裁判をして、犯罪の度合いに見合った「矯正」を行わないで、殺す。これでは、「法」の執行ではないのでは? パノプティコンは監視システムのモデルではあるが、その目的はあくまで犯罪者の懐柔であり、内面から「法」に従わせるための機構である。それをしないって、「法」としてどうなの? という話になる。
 その問から導き出される構造、それはシビュラの法の下にある社会が「監獄」であるということだ。そうして処理される犯罪者の身体は、いや、犯罪者が処刑されるという事実自体、同じ社会に暮らす人々への懲罰に等しい。そして、人々はいつでも見られているという意識のもと、内面から調教されていく。そうして、「健全な市民」として「生産」される、それが「サイコパス」という世界だ。1期はその檻の破壊を試みた話である。2期はその支配者たるシビュラの定義を問うた話である。
 2期の評判が悪かったので、あまり期待しないで観ていたのだけど、全然悪くなかった。面白かった。
 ただ、ヤバイくらい派手にズッこけてる。ズコーーッ! と。それはそれで面白いのだけど、そういう問題ではないですね。既に長くなっているので、簡潔にまとめますか。
 最終話に於いて、「集合的サイコパス」を裁けるようになった、それによってシビュラは自身を裁くことが可能になった、という解決が導かれますね。そして、シビュラは自身を構成する脳みそのうち、いくつかを処理する。「こいつらを殺すことによって、我々のサイコパスは安寧に保たれる」という風に言いながら。そして、同じく集合体であるカムイは東金によってドミネートされる。これによって、集団的サイコパス、つまりその人の所属する「集団」のサイコパスを測れるようになるわけなんだけど、それによって自分は悪くなくても所属する集団如何で自分も裁かれる可能性が出てくるようになった。だから、そのせいで今後大虐殺が起こるかもしれない……それでも良いのか? と局長が朱に問う。そうはなりません、と朱は言い返す。
 うん。そうはならないんだと思う。だって、結局何も変わらないし、何も終わったわけではないから。シビュラ自身が自身のサイコパスをクリアにするため、自らの一部を排除したのと同じように、集団がサイコパスをクリアにするために、自らの一部、つまり成員を排除することで集団的サイコパスがクリアに維持できるなら、その後やっていくことに変わりはない。その「排除」が公安にアウトソーシングされるだけの話であって、システムに変更があっても、行われることに変わりはないんじゃないかなぁ。カムイは有機的な集団であったわけだから一発で葬れたわけだけど、人の集団はあくまでも機械的な繋がりでしか担保されない。有機的な人の集団が実現していないのに、集団的サイコパスが使えるようになったところで、結局何も変わらないんだ。朱が最後、カムイに同調していたのは、あくまでカムイを裁けるようにするためだった。自らに宿る「法」というのは、そういうことだ。……だから、それ以外は何も変わらない。「法」というものが、少しだけ変わったに過ぎない話だった。
 そして、霜月監視官の無能っぷり、小市民っぷり、奴隷っぷり……あまりにも朱と対比させすぎていて、笑ってしまいそうなレベルなんだけども、シビュラの真実を知った時に拍手喝采して「素晴らしいです素晴らしいです」と連呼してるのを見て、本当に笑ってしまった。無能可愛い、という新たな言説が生まれそう。「この社会が大好きです」。あまりにも強烈なアイロニーである。私、この監獄が大好きです。だって、真っ当でいる限り生きていくのに不便はないし、身の安全だって保証されているし──。
 自称「平凡な人々」の、露骨なパロディである。霜月監視官の渾身のギャグを笑えなかった人のために解説しよう。彼女は、クリニックに人質として拘束された被害者たちが加害者と認定されてドミネーターに虐殺されていく、ああいう風景を肯定していのである。そのシーンを見て、「グロをやりたかっただけだろ」と思った人はそう思っておけば良いんだろうが、「俺達は被害者だ!」と叫びながら、「法」の力によって肉片と化した人々を見て、その視覚的なグロにしか価値基準を置くことが出来ないような見方は推奨しない。別に「法」は味方でもなんでもないことが、そこであからさまにも過ぎるほど描写されている。司法の絡む事件の当事者となってしまえば、被害者と加害者という立場は実にあやふやなもので、容易にひっくり返ってしまう不均衡を、このシーンはよく示しているわけだ。「法」が私達を守っていることは、実は自明のことでも何でも無いし、何故かその「法」に殺されることもあり得る。そんな「安全」な社会を妄信的に礼賛する人々のパロディ、霜月監視官。すごい笑える。
 つまるところ、シビュラシステムは、全然ダメダメなわけである。「法」の機能として、16、17世紀の身体刑中心の司法制度に完全に逆戻りしている。というか、「真理」を明らかにしようとする態度では、その時代にも劣っている。数値が絶対化されているが、数値は真実を全くこれっぽっちも語っていないし、一元的なデータで人を裁くことに安住している人々の恐ろしさよ。その社会に安住している人々の恐ろしさよ。『サイコパス』にはディストピアにふさわしいだけの絶望と狂気が蔓延している。その社会で巻き起こる事件の面白さ、それを解決していく格好良さはあるが、結局のところ、その実態は狂気なのである。
 サイバーパンクはどうしてもディストピアの相貌を帯びる。身体をテクノロジーで伸張するということは、テクノロジーに身体を外注することと同義であり、身体への責任を手放すということだ。責任から解放された人々が、どこか狂気に彩られて見えるのは、今の所身体を自らの責任で引き受けざるを得ない我々にとっては当然のことなのであり、また20年前の人々も、今の我々に同じような狂気を見出すかもしれない。
 狂気を制するには、狂気を以てするしかない。「社会を愛する」人間を、笑い飛ばす狂気を。
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  1. 2015/08/10(月) 20:04:03|
  2. 尋常の日記・雑記
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可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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