弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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ヒーロー6か条

 次に書くお話はヒーローもの、それもダークヒーローものをやろう、と決めたのは先月の頭、7月の上旬頃のことであります。そこで私は勉強しようと思いあらゆるアメコミヒーローの作品を見まくりました。『バットマン』(クリストファー・ノーランによるリブート三部作)、『アイアンマン』『アベンジャーズ』『スパイダーマン』『アメイジング・スパイダーマン』『X-MEN』『スーパーマン』『パニッシャー』『ウォッチメン』とか。やばい、有名どころしか無いのでにわか感丸出しなのだけど、それまでアメコミヒーローなど全く知らなかったわけで、そう考えてみると割りと頑張った方。もっと観たいのあるけど。『キャプテンアメリカ』も実は借りてきてあるので、それも早く観たい。
 そこである程度(見ていれば分かるくらいごくフツーの)特徴、共通点、あるいはここを描いてあるものは面白い、というようなところをまとめてみる。

Ⅰ、強い存在である。トロッコ問題を例に上げてみれば、暴走するトロッコを押しとどめるだけの力がある。
 『スパイダーマン2』が映画スパイダーマンの中で一番好きなのだけど、ピーターが暴走する電車をその身ひとつで停めている。幼さの残る顔立ちの小柄な青年が、獰猛に疾走する車両を食い止める。アホみたいな強さである。能力の質とか、強さとか、そういう以上のものをそこで彼は発揮している。そこに至るまでの過程が過程なだけに、その勇姿に釘付けにされてしまう。
Ⅱ、ヒーロー性が人々へと伝播する。
 まあ、有体に言ってしまえば「希望」というものをヒーロー達は人々へと与える。ヒーローを観た人々がヒーローとなるのである。「ヒーローはどこにでもいる」「少年の肩に上着をかけ世界の終りではないと励ますような男だ」(『ダークナイト・ライジング』)。バットマンたるブルース・ウェインは、子どもの頃にゴードンからヒーロー性のようなものを受け取った。その素朴な真実を自分のものとして、ダークヒーローバットマンとしての使命を果さんとする。「希望」というのは決して単純な意味で用いるのではないことは、この例一つ見るだけで十分に分かりすぎることだ。
Ⅲ、悪を呼び寄せる
 『バットマン・ビギンズ』のラストにゴードンが言う台詞の通りである。バットマンの存在が、ジョーカーという精神面ではアメコミ最強なんじゃないかと思われるヴィランを引き寄せる。
Ⅳ、正義と悪のどちら側にもつくことがある。
 この表現はあんまり正確ではない。「正義と思われていること」と「悪と思われていること」のどちら側にもつくことができる、という方が正しい。曖昧な言い方だが、ヒーローたちが正義とか悪のために戦うのではなく、彼ら自身のために戦っている点は否めないし、否む必要はないと思う。『ウォッチメン』の面白すぎる結末を観てしまえば、「正義と悪」という二元論でものを見ることの危険を知ることができる。彼らもまた人間であることには変わらないし、だからこそアメコミヒーローは受け入れられる。それと、アニメ『夜ノヤッターマン』を観ると分かることだが、ヒーローという装置は簡単に権力を施すことができる。それは単に大きな力を持つからであり、そこに善悪の区別は存在しない。ドロンジョが立ち上がるまで、この対立や葛藤は息をすることを知らなかったのである。だから私はこのアニメを「正義と悪」とかいう定規で見るのは間違ってると思うし、もしもその探求が主題であるのならとんでもない駄作だとも思う。
Ⅴ、懊悩多き、等身大のヒーローの方がより強い力を持つ。
 『スーパーマン』は完全な勧善懲悪のストーリー。アメコミ史上最強(のくせに名前のダサい)スーパーマンと、ヴィランがわちゃわちゃして結局スーパーマンが勝つ。一歩間違えなくとも、トムとジェリー的な永遠性があるような感じ。バットマンも最初はそういう感じだったらしい。なにせ、二次大戦の前から存在するヒーローである、当時コミックを読むようなナード諸君にそれほどの複雑性を求める知恵があったとは思えない(失礼)からこれで十分なのである。しかしながら、時代が下るにつれてみんな頭が良くなっていくのでそれで満足できなくなる。複雑な正義の話が出てくる。その処理を一身に引き寄せたヒーローたちが懊悩しないはずがあるか。一つの答えを彼らなりに導き出した時、一つの真実を垣間見た時、彼らが弱いはずがあるか。
Ⅵ、シンボルである。
 本家アメコミではしょっちゅうヒーロー達は死んで、二代目三代目と引き継がれていく。正直意味がわからなくて、不学な自分には手に余る。めいめいの好きなヒーロー名を叫べば良いだろうに、その名を引き継いでいく。なんだか、そのうち腐敗しそうだなあ、と不安になるが、悪が蔓延る限り、腐る暇もないんだろうな。

 なんだかもっとある気がしますが、自分の能力では今のところここまで。
 単に強い人間が、悪人をボコボコにするのであるストーリーは、いまさら流行らないのでありましょう。『コマンドー』のハチャメチャな面白さは、その映像のスリル感とシュワちゃんの威容、そして脚本の面白さにあります。現代に於いて、単に敵をぶち殺す映像が欲しいのであれば、実はゲームというステキなメディアで十分なのです。自分でできるのですから、これほど爽快なことはありません。
 それでもなお、最近の潮流としてアメコミヒーローが流行りつつあるのは、彼らの絶え間ない努力の賜物であるように思います。流行りは廃れるものですが、どれほどのものを時代に残していけるか、その闘争が現在行われている最中なのです。
 それに便乗するわけじゃないですが、今回この至極当たり前の特徴を書き出してみて、改めてわかったこともありますし、私も頑張ってみようと思います。いつでも頑張ってるんですけどね。
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  1. 2015/08/29(土) 02:15:49|
  2. 尋常の日記・雑記
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可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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