弐つの遊戯卓

【五年目】 毎日頑張ってやりくりしていきてます。物書き、音ゲーと合唱やってます。最近DTMとか始めました

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困ったときの…

うぅ……どうか……。ポテ
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眠れない。
瞼が重くて、目が痒くて、布団があるのに眠れない。なんと自分は贅沢な身なのでしょうか。世界の発展途上国では、親の居ない子供達が路肩で肩を並べて寄り添って互いの体温を感じて夜を凌いでる光景なんて日常茶飯事なのです。
とある本での一説によれば、幸福は他人の幸福を吸い取って成り立っているとのことです。なんとも理不尽な世の中です。
もしも自分がそんな風に他人の不幸の上でこうした楽な生活を送っているとしたら、重圧でとても生きていけたもんじゃないです。そんな風にくらーくなって不幸になるより、不幸な人がいることを知らずに過ごしていた方が、不幸な人たちも浮かばれると僕は考えます。うん楽観的万歳。
暇な方は、眠れずに暇な弐人の愚痴でも聞いていってくださいまし……。

眠れません。はい。脳が思考を中断してくれないんです。寝よう寝ようと意識が提案しても、脳の前頭葉さん(か、どうかは知らないけど)がそれを却下するんですよ。酷いと思いませんか?

常々この現象に悩まされて、いつも布団に十時ごろに入ったのに、実際寝付くのは十二時なんてのもしょっちゅうです。こんな無駄な時間が嫌いで、今日はついに立ち上がって、PCの電源に手を伸ばした訳です。

それでもこんな半寝状態の頭じゃたいした思考も働かず、記憶も曖昧なので小説書いたり勉強したりと、したいこと(後者はどうかと思いますが)ができません。目にもよくないですし。

それにこの喉の乾燥感が嫌いです。この渇きが、食欲へと発展させて結果的には夜食へと繋がります。この夜食をすると生活リズムが崩れます。将来早死にしてしまいます。個人的には六十五歳まで生きるつもりなので、こんなことは許されないのです。だから僕はこうして睡魔と食欲と闘っているわけです。

最近外でてみると、お?と思うことがたびたびあります。家の中より、外の方が涼しいと感じるからです。家の中の方が涼しいと思っていたものの、外にでると更に涼しいと感じて、なんともレンタルビデオショップで一本借りるともう一本!みたいなお徳感と、あとで帰ってくるとき家の中がむわっとしているように感じて、なんとも結局延滞料取られてどっこいどっこいじゃないかーという倦怠感が生まれます。それでなんともこのバランスが現実の冷淡さを表しているようで……風情を感じます。

先日、志望高校の説明会に行ってきました。僕のレベルでは到底追いつけないようなところなんですが、まぁ努力するつもりです。
しかし、いざ説明を受けてみると勉強特化の進学校らしく、大学のことを見据えた高校みたいです。親の話によると、これが普通らしいですが。
なんとも絶句してしまいそうな環境でした。部活したかったら勉強しろ。遊びたかったら勉強しろ。帰って寝たかったら勉強しろとかいう、そんなイメージが個人的に焼きついてしまいました。どうしましょうか。
あんまり忙しいと、創作時間が削れてしまいそうなので、将来を見据えるならもうちょっと考えてみようかなぁと考えさせられてしまいました。義務教育卒業後は自立できる年齢層ですので今の時期の重みがよく分かりました。

さてと、僕が放牧している(なんて言ったら彼らに八つ裂きにされて、闇鍋で処分されそうですが)人達が晒しているように、恥ずかしながらラノベに執着しております。
小学生のころは、西村京太郎だとか、横山秀夫だとかそういう刑事モノが好きでした。今でも好きですが。ラノベので刑事モノが無いので今度書いてみましょうか。
小学時代、同級生たちからは「シブイねぇー」だとか、先生からは「渋いねぇー」だとか言われてました。なんともその驚きを見ているのが楽しかった自分でありました。
図書館の蔵書が無尽蔵にあることを知った僕は、連日図書館に通って漁ってました。ざっくざっくと。そして、通い始めて一年ほど。気がつきました。
「あれ……俺どれ読んでないんだっけ?」
読んだ本が多すぎて、読んでいるものと、読んでいないものの区別がつかなくなってしまいました。しかも中身を読むと分かるといのだから困り者。困った末読んでも推理物です。犯人がわかっていたら詰まりません。わかりますか?そうでしょう。
なんとなくそれで嫌気がさしたので、そこから僕の一時的な活字離れが始まります。漫画とゲームの攻略本しか読まなくなりました。暗いです。
さて……恐らく三度目でしょうか。一度目かと思われる方もいるでしょうが、個人的に説明を拒絶するので、知らないと三日間眠れないYO!という方は、左の検索というとこで検索してください。「ヒーリー」と打てば出るはずです。

さてこのラノベ中毒も佳境に入ってます。
シリーズ物をまとめて図書館で借りてきて、一日部屋に閉じこもって読んだ日もありました。懐かしい。八月の頭、部活が終了したあたりでしょうか。打ち上げだのなんだのが終わってようやく自由になってのが十一日。夏休みの半分を部活に使っていたみたいです。別に後悔はしていませんが。ただ忙しかったです。
お祭りに関しては、一応行ってきました。受験生という役柄ですが、骨休みと称すれば基本的に宇宙だっていける家族なので、全然大丈夫でした。
僕がラノベにはまる根本的な理由を作った友人(3rdheavenの管理人ではありません)が一緒に行った連中の中に入っています。
お祭りです。こういうもののテンションが好きなのか、それとも見てもらうのが好きなのか、それとも友達の輪から出るのが嫌なのか、一部の女性方は浴衣という日本伝統の由緒ある着物を羽織ります。別に僕は断じてそういうのに興味があるわけではないのですが、その僕にラノベを影で推奨してきた彼は、浴衣を着ている娘を見ると、ニヤニヤして「いいねぇ」と言い出します。
半眼で睨んでやると、「お前が言って欲しそうだったからやったんだよ」と、責任転嫁されましたが、言ったことは事実です。甘んじることのないようにしましょう。
部活の後輩ももろもろ来ていました。僕は先輩としては交流がめちゃくちゃ薄くて、大して後輩と会話を交わすなんて、強制でもされない限りやらないほうでしたので(同年代を大事にする人です。決して、一人ぼっちなわけではないです)、後輩と遭遇しても会釈するか、あちらがこちらの存在に気づくことがなければ、そのままスルーです。無理に呼び止めても哀れなだけですので。
「お前後輩何人見つけたよ?」と、主催の友人に話し掛けられます。「三人」とそっけなく答えると、彼は少し驚いたように言いました。「マジで?俺まだ一人もみつけられてないし。お前ロリコンなんじゃねえの?」ロリコンという語句の意味を知らなかった僕は(今はうっすらわかります。よく友人には知っていると思われるんですが。)「何で?」と単純に返します。「だってそういうのばっかみてるからそうやって見つけられるんじゃねえの?」そういうのって何だよと、内心で突っ込みをいれつつ、適当にお茶を濁します。なんとも会話を続けると雲行きが怪しくなりそうですからね。
「んーいないな。」と、例のラノベの友人が話し掛けてきます。「誰が?」と尋ねたところ、彼は「いやぁ。綺麗な浴衣のお姉さんが居たんだよなぁ。」と、アニメの女ったらしのキャラがそのまま出てきたような台詞を真面目に言ってきます。「なあ。お前も探してくれ。浴衣着てて黒い髪の人だ。」と、健全な日本人なら当たり前の特徴を言ってきます。浴衣が健全というのも難ですが。いえ、別に浴衣が悪いとかそういうわけでは……。結局彼の言う、その人は見つからなかったのですが、彼は別に名残惜しそうも無く、祭りを後にしました。なんとも今ではいい思い出です。

しかし、つい一ヶ月前のことなのに懐かしく感じるのは、どうなんでしょうか。僕ももうそんな年頃でしょうか?それとも世間の荒波に巻き込まれているからでしょうか?息をつく暇もないほど忙しいとはいえませんが、そこそこ忙しいライフを送ってきた僕です。
生徒手帳を無くしても、大して感銘を受けずに居た、僕です。

思いっきりふざけてみたといものがありますが、あれは主にストレス解消が作成目的です。主人公の感情を浮かんだまま書くことで、ストレス解消に繋がるのです。こうしてブログにつらづらと愚痴を述べるのもいいですが、そっちの方が完成時にめちゃくちゃスッキリします。一作目は失敗してしまいましたが、流して置いてください。

そもそも、あのシリーズを書くきっかけになったのは、ラブコメというものを知ってしまったからです。これは作者の方にセンスを感じます。途方も無いほど、読んでいる人の顔が赤くなってしまう、思わず顔をほころばせてしまうような表現がたびたび出てきて、シリーズを通して読んでいくごとに表現が過激になっており、放送禁止用語を緩和した表現も無数に出てきます。
でもそんな表現のなか、影の方でシリアスな展開が動いているところがなんともいえません。ただ単にベタな恋愛をさせているのもありますが。

こういう恋愛の基盤となる、二人ですが(どちらかが一人とは限りませんが)、大概どちらかが、容姿端麗、才色兼備といった正の意味の四字熟語を連ねてもどれも当てはまってしまうような超人と、そこらへんにいるようでいない、恐ろしい正義感や、いい面をもった主人公がセットになります。キッカケはひょんなことから、告白まで様々です。

僕は一考しました。どうにかこの典型を崩せないかと。
だから、ふざけてみたシリーズで、中心となる二人+ライバルなるαよりも、周囲の人間に手を加えてみようと思いました。屍氏の出演の意図もこれが目的です。
例えば、弐話から主人公である水田君ですが、彼の兄なんかは典型です。変人を意識しました。あとは、翼さんのアパートの管理人さんなんかも変です。変態は変態です。ええ。すみませんでした。反省しております。

ちなみに、翼さんをフルネームにすると、翼麗、となんとも中国人みたいな名前になってしまうんですね。これは、僕のネーミングセンスの無さや、向こう見ずな性格が響きました。すみません。ほんとごめんなさい。えぇ。多分反省しています。

さて話を戻しまして、読んでるほうが恥ずかしくなるラブコメは段々とエスカレートしていきます。はじめて読んだものは、三巻で一気にジャンルが変わったような気がしました。挿絵もダイナミクスで、デンジャラスなものが多かったです。絵師さん自ら仰っていたので間違いないです。ただまあそんなところも好きなんですが。それを僕が読み終わる前に友人にこっそり見られたのはまずかったです。「ちょ…お前これヤバイだろ。よくこんなの持ってくる勇気あったな。その勇気があれば魔王倒せるよ。多分。」と、言われて「何がヤバイの!?」と訊き返したところ、「え!おま、これがやばいと思わないのか?お前も成長したなあ」なんていわれる始末。混乱した僕ですが、後で読んでみたら謎が解けました。本当にありがとうございました。
他に読んでいたものでは、妙に拘る部分が多かったり、大きさを執拗に記述しているものもありました。挿絵でも下着等の描写が多く、慌ててページをめくることもしばしば。ハッキシ言ってこれを平然と読める人の気がしないです。でもまぁエロ小説を学校で読んでる先輩よりはマシですよね?

とりあえず、そういうものを求める読者さんはここには居ないと思われますので、翼と水田の関係は均一ということにしておきます。え?この二人が主役ですよ?どうしたんです。狸と狐が酒のんでるところを見たような顔をして……。

さて……

頭を書き始めて一時間半経過しました。そろそろ懇意にしているアニメが始まっていてもおかしくない時間帯ですね。ちなみに僕は一点集中なので、深夜は基本的に寝てます。今日は特別です。起きていると、寝れないは紙一重ですがレタスとキャベツくらい違います。栄養素の問題です。

そういえば、部活引退の日に後輩からプレゼント、寄せ書きのようなものを貰いました。
僕が、カッコつけて三年生からの言葉の際に、ある小説から部分部分をとりだしてつなげてさらにアレンジした言葉を放ったところ大うけしてしまいまして。あの恥ずかしさは忘れることができません。
話をもどして、その寄せ書き、団扇にかかれていました。センスを感じます。そして、その団扇の真中にはこんなシールが。

「オタクですが、何か?」

メガネをかけて、「萌」と書かれたTシャツを来たオタクだと精一杯主張している青年が書かれていました。
僕はオタクだなんて自認した覚えはありませんし、意識したこともありません。僕がその類で好きだといったら、ラノベしかありません。アニメなんて、好きなラノベのアニメしか見ませんし、声優の名前なんて覚えられません。ただまぁラノベに関しては深いので、どっこいどっこいかもしれませんが。
それでもオタク度チェックなるものをやってみたら、潜在能力は高かったものの、それ以外は大したことはありませんでした。

でも、こんなことをいうと大概の人はいいわけだと思います。僕自身もそう思います。そう見えるらしいからです。確かにパソコンは六年生のことから弄くっているので、タイピングも多少はなれています。技術のパソコンの授業などのタイピングも大概首位でした。
そのころの人たちはパソコンができる=オタクだという認識があったらしく、随分と苦しめられました。一番僕のことをからかっていた友人がいたのですが、彼のほうがいまはオタクです。過去の彼にこの事実を突きつけてみたいです。

ともかく、僕はオタクではありません。

と、言いたいところですが、オタクの規準ってなんでしょうか。
これは幸福の定義を説明するくらい難しいでしょう。それくらい今の世の中は発達してきているのです。
オタクはくらいイメージがあります。暗い部屋で、PC画面を食い入るように眺めるメガネの男。フィギュアが棚の上を占領しており、本棚には同人誌が山積み。こんな感じです。未だに僕のイメージとして定着しております。

ただ、結局のところオタクというのは呼び称であり、オタクだからどうだとかそういうわけではありません。電車君だってそうです。オタクだから気持ち悪いといった先入観、固定概念は捨てるべきです。人の趣味、考えに干渉できるほど人間は高級な生き物ではありません。優劣なんて存在しません。人は人です。他人は他人です。

人を分けるとしたら、自分とそれ以外です。自分の考えを共有できるのは自分だけです。人には分かりません。たとえ、考えることを共有できる仲間が居たとしても、つめたく言ってしまえば所詮は他人です。自分の考えを全て話しても全て納得、理解するとは限りません。どこかしらに齟齬が生じるはずです。
 
人は自分の幸福を何より願います。人の幸福を願うときもありますが、それは結局自分の幸福でもあるのです。みんな自分の意思でそういうことは決めます。結局のところ自分が一番して、納得できる行動をするのです。誰かに指示されて、それを無理に偽って納得させて、行動しても駄目です。やはり人間はしたいことをするのが一番なのです。誰だって自分が幸福になれればいいのです。そういうものだとこのあいだ悟りました。

幸せというのは、後から気づくものだというのは本当だと思います。僕は今の生活が幸せですし、幸せでもない人は、安息を感じたときに今が幸せだったと感じることができるはずです。人間誰しもが幸せを求めていること自体が幸せなのです。自分の意志で幸せを探せるということが。自分が納得できるものを他人が干渉することはあってはならないのです。

でもそれと、悪いことはまた次元が別でしょう。

でもそう考えると、自分が幸福になろうとすると、必ずどこかで不幸になる人が出てしまうのです。

例えば懸賞であたったとします。幸せです。でもあたらなかった人たちはそれぞれどう思うかまちまちですが、不幸です。がっかりします。どうでもいいと思っていた人たちもどこか心の奥底でがっかりします。

しかしそう考えると、スケールが大きくなっていくだけで、結論はでません。だから僕はこう定義します。

自分がやりたいことをする。

これが一番の幸せです。誰かを傷つけていようと、自分の幸せは譲れません。
でも、あの人の幸福とひきかえに自分が不幸になった。あの人を恨もう。となるのは人の自由なのですが、僕は決して許していいこととは思えません。勝手です。どっちも勝手ですが、これは特に勝手です。

一回幸福を逃したからといってそこで地団駄をふみ、幸福を手にしたものを恨むよりは、またもう一歩踏み出していったほうがよっぽど幸せです。人間は幸せじゃなければ生きる意味が無いのです。

所詮、いずれはこの星から消えてしまう存在なのです。

そんな僕らが、ここに生きていることは誰にも予想がつかなかったことなのです。

だから、僕は幸福をつかむ為に自分のしたいことをします。

道のりは複雑なほど行き着く先にあるものは大きいです。これは鉄則なのです。

それは、苦労が大きかった分というのではなくて、その今までの日々を幸せだったと思うからです。

あんな思いはもうしたくない、と思うかもしれませんが、その経験が今を惹きたてていることは間違いありません。

ちなみに、僕の幸せはこれをUPしたあと布団に入ることです。それが何よりも幸せです。とても小さくてもです。小さい幸せを楽しめれば十分です。

え~っとここまでこんなつまらないお話に付き合っていただいてありがとうございます。
ある種では、僕の暇つぶしに巻き込まれたことになるのですが、そう思わないで居てくれると幸いです。
この時間が無駄でなければと、思います。


すいませんでしたぁ……。
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  1. 2008/08/25(月) 02:23:49|
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可児 珊士

Author:可児 珊士
大学生。
元音楽(合唱)部員。旧BASS。
ギターが欲しい年頃。
作家志望。
本陣:埼玉
カラオケ行くと声的な意味で別人化。

アイコンは柊氏より頂きましたΣd(゚∀゚d)

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